夏目友人帳 肆でもやったとおり、聖地巡礼はグーグルマップで疑似体験できてしまったこともあって、不思議な感じだ。ネットでそういう風景が実在するということが確認できてもういゝやとも感じるし、逆に、本当に同じ風景が存在するんだったら、この目でも確かめてみたいとも感じるしで。町興しにアニメ化が期待されるんだったら、聖地巡礼で人が来るってのは歓迎なんだろう。だが、やはり自分的には聖地巡礼するぐらいだったら自分が今住んでいる土地を大切にしろよと思ってしまう。で、これも何度も述べたと思うんだが、竹原はまだ守るものがあってマシなんだなと思ってみたり。で、OVAを一通り目にして、この作品はその守るべきものがあるという竹原を題材にしながらも、それぞれの地域を大切にすべきという主張はされていると思う。
しかし、なんていうのか、先ほど聖地巡礼をしたサイトを1つ目にして、やはりアニメというかドラマ化というか、いったんこういう形で提示されるとやはり惹きつけて聖地巡礼をする人がいたり、そのサイトを作ったりというのは(まだそれほど大衆化していないせいもあるだろうが)、それだけの魅力があるんだろうな。アニメの聖地巡礼という形でなくても、昔からあったドラマのロケ地探訪はあったのであり、こうやって落ち着いて振り返ってみるとあまり違いはないのかもと思い始めてきた。
で、自分の仕事についても以前から思ってきたことではあるのだが、最近ちょくちょく目にする、物語をマーケット手法に使うってことなんかなと。顧客にアピールするためには物語性が必要になってくるのでは?という視点だ。モノにしてもサーヴィスにしても、「あなたゞけの一品」ってのが購買意欲をくすぐるわけで、そのカスタム性ってのは、やはり顧客の個人性に基づくんだろう。確かに人と違うという差異がフックになるとは思う。昔からイニシエーションっていうか、それに近いことは大切にされてきたわけだろ。七五三だとか結婚式だとか。自分だけの、もしくは自分の家族だけのというふれこみではあるんだが、でもまぁやってることは人と同じことなんだけどな。心の片隅では馬鹿馬鹿しいと思ってはいても、人と同じことをやっていても、やってるのは他人ではない自分ということで満足できてしまう。その魔力を利用するわけだ。聖地巡礼だって、やってることは人と同じ交通機関を利用して、人と同じ作品を元に、人と同じ土地を訪問して、他人も見ている風景を自分も堪能するってことだしな。でも、あのキャラが、あの俳優が歩いたこの地を自分も歩いているって実感が、そう大げさでなくとも、人を惹きつけるんだろう。日常では別に誰もがやってることでも、物語にされてしまうと特別なものに感じる。なんとも不思議なもんだよねぇ。