ロリバスケキャラ構成について。

 id:spring-ephemeralさんにブクマしていたゞいたので、返答がてらうだうだ考えてみることに。腐の方々への供給として、女子高生コーチと男子小学生部員というのは需要がないと言ってしまったのだが、いわゆるショタというのもアリで、可能性としてあるとは思う。が、今、女子マネージャーの誕生とメディア―スポーツ文化におけるジェンダー形成を読んでいて、結構思うことがあったのだ。
 今でこそ女子マネージャーといえば、最近のもしドラは除いて、大抵運動部の中のお母さん的な働きをするものという固定観念になっているが、まず、大正時代あたりでは、そもそも運動部なんてのは男の領域でマネージャーなんてのも男がするものであったらしい。で、内容も道具などの物資の調達からコーチの領域までまたがっていて、まさにマネジメントを含む雑務全般をやってたらしい。それが戦後の男女平等の雰囲気の浸透の元に、女子マネージャーがその男の領域に入ってくる形で入部し始めたらしい。で、オモロイのは当初は女子マネを監督も部員もあまり歓迎しなかったそうだ。時代の変遷とともに、女子マネの職域は野球のスコアつけやユニフォームの洗濯などの雑務に限定されてきて、その中で女子マネの役割論が'80年代に湧き起こってくるらしいが、まぁ経緯はともかく、問題はなぜ元々男だけの世界に女子がすき好んで入ってきたか?というもの。まぁ腐の方々のメンタリティと女子マネのメンタリティが同じであるハズも無いが、前述の本でいうと、女子が思い描く男の世界ってものをホモ・ソーシャル(端折っていうと、男同士の友情、つまり関係性に憧れる部分だ)とホモ・セクシャル(もちろんこちらが腐の方々の志向する世界だ)な部分に分けて考察していたのが面白かった。
 だから、自分なんかは腐の方々は、ホモ・ソーシャルな部分とホモ・セクシャルな部分を楽しめる、男子高校生コーチと男子小学生部員の組み合わせは需要があるのだろうと述べたのだが、女子高生コーチと男子小学生部員のほうは、たしかにショタの要素はあるものゝ、薄い本*1の数は男×男のほうが、女×男より多いような実感があって、どうにも可能性ぐらいにしか思いつかなかった。っつーか、女子高生コーチと男子小学生部員の組み合わせでの妄想は、腐の方々向けというよりはむしろ男の子向けなんじゃないかという気がするのだ。双方の年齢を嵩上げすれば、その構造が「姉萌え」と同じになるというのが一つ。あと、もしショタ嗜好であれば、物語中ショタの相方は通常描かれないような気がしてならない。つまり、エロゲでプレーヤーの分身には通常顔が具体的に描かれないってヤツだ。つまりショタは単品で愛でるものであって、ショタとお姉さんの組み合わせにして、自分をお姉さんに重ねて擬似恋愛体験をするというものではないんじゃないかというのがあったのだ。あと、男の子の年齢が小学生ぐらいになってしまうと、女のほうでは母性*2が働くんじゃないか?ということも考えられる。
 しかし、以上の考えも、女の子向けの薄い本の実態を知らないが故の放言ではある。自分の中のやおい知識は受け攻めの組み合わせなどの薄いものでしかないので、もしかすると行くところに行けばいたいけな少年を年上の少女が陵辱するという腐向けのものがわんさかあるのかもしれない。で、こういうスポーツものだと、年少の男の子が、ちょっと年上のお姉さんに認められたくて頑張るというのがちょっと想像できない。むしろ男の子は認められたいのだが、はにかみながらもちょっとつっぱるって感じの、素直じゃないなぁって部分を腐の方は愛でるのじゃないかと思ってしまうのだ。でもそれじゃぁスポ根の根性の部分は描けないよね?ということになる。まぁ、自分も結局のところ女子はちょっとした不良が見せる優しさに参っちゃうとかという一昔前の少女漫画の知識しかないという発想の貧困さがあるんですけどね…。

*1:同人誌

*2:どうも母性というのは本能ではなく、社会的につくられるものであるという研究があるらしい。そうなると別に全年齢層の女性がショタを喰ってもいゝわけだ。