フリージング 第5話

 ホラ、あれだ。ふんどし少女を出したかっただけだろ。
  拳で語り合うキャラ紹介その4。しかし、今回は主人公たちと拳を交えるのではなくって、主人公の側に立って敵と拳を交えるという変則技を見せてくれた。次回も拳で語り合うキャラ紹介ってところのようだが、もう6話にもなるので、物語を動かしてくるっぽい。それがリミッターを取り合う女二人ってなもんだから世の中平和だねぇ。
 うーん、なんというか、サテライザー@能登麻美子のたどたどしい台詞回しといゝ、ツンの弱いツンデレぶりといゝ、もうあざとすぎるぐらいあざといんだけど、気にならなくなったというか、むしろこのお約束を見ないとフリージングではないと思ってしまうぐらいに馴れてしまった。で、カズヤが襲撃されるのも、もう王道というかお約束以外の何者でもないだろ。もうテンプレ直球。そして追いかけて欲しいサテライザーと押しかけ女房のラナの対比…というか三角関係。もうね、こゝまでパクリだけだと清々しいというか、いや、物語りってなんだろうな?という疑問すら湧く。ホント数種類のパターンの外装を換えただけで事足りるのな。人間ってのはそういくつも物語の新規性なんて要らないんじゃないの?という気がしないでもない。
 ホントなんだろうな?。サテライザーが正式な手続きを踏まずに、暫定的にカズヤをリミッターとするのは、前回も言った通り、何かとトラブル続きな彼女が、危険だったらいつでもカズヤを逃がせるようにわざと儀式をしないってことなんだろうけど、わざとそのへんを引き摺ることによってサテライザーの頭の内を視聴者にじっくり考えさせるってやり方なんだろう。間が長過ぎるぐらいのテンポも、サテライザーのこゝろの内を想像させるためってのもわかる。で、そういう仕掛けに自分が乗ってしまうのが、暴力とエロ描写ではなくって、むしろぎこちないぐらいの初々しさであるらしいのだ。もうオッサンなんだけどねぇ。普通ツンデレというテンプレを使うときには、デレの部分を際立たせるために(つまりギャップ萌えだ)ツンの部分を集中的に描くものだが、この作品は逆なんだよ。
 韓流ドラマもそういう構造なんかね?。しつこいぐらいに視聴者が本当に欲しいものを提供した上で、興味をひきつけるってのは。でも昔だとそういうのを好むってことは、レヴェルが低いってことであるってことになってたと思うんだけどね。要するにバカが見るモノって扱い。まぁせっかく暴力を提示して、(多分)それはやりたい放題の新自由主義だのグローバリズムという名の強者総取りアメリカナイズという下敷きを用意してるんだから、やっぱその辺のもがきを見てみたいもんだがねぇ。いや、拳で語り合うキャラ紹介って時点で、「身近に居るといえども、基本他者は奪う存在である」ってことが語られてはいるんだが。