オオカミさんと七人の仲間たち 第1話

 シンデレラの改変としては今一かな。
 ツンデレその2.この作品を視聴対象にする動機がちょっと見当たらない。なんでだろ?。面白そうってんでもないんだよな。
 森の猟師のアテ字はよくわかるんだけど、狼涼子のリョウコがよくわからん。将来森野と結婚すれば、どちらもリョウシどうしになれるってことなんだろうか?。まぁ無理にこじつけた命名にしたところであんまり益はないからどうでもいゝっちゃぁどうでもいゝ。
 さて、第1話だが、ほゞキャラ・世界観紹介に徹していて、シンデレラエピソードは付足しって印象。銀行っていうから、カネのやりとりがあるのか?と思ったんだけど、行為の貸し借りって視点が面白かった。困った時に銀行側が依頼者を助け、あとで依頼者に手助けを頼むってのは、現実の人間社会にある貸し借り関係をある組織が一元管理するって世界観がね、結構斬新。まぁ貸し借りの価値をどう位置付けるかは現実の運用を考えると難しい限りだが、そこは物語なんで気軽にお試しってトコだろう。
 自分なんかは、社会は人々の支え合いでなりたつと考えているので、こういうのは切り口として面白いと感じる。現代社会なんて逆の方向性に向かっていっているように感じるんだよね。別に昔は人々が支えあっていたなんて直に書かれてはいないんだけど、山村生活の研究 (1937年)を読むと、やたら共同作業だの、共同飲食だのと、何かするにつけても一緒に一つの行為を為すという項目が目に付く。自分なんかは近代から現代にかけて行われてきたことは、内部経済の外部化だと思っているが、まず地縁が破壊され、血縁が破壊され、家族までもが破壊されてしまいつゝある。そうやって個人分断化が行われた果てに特権階級による激しい搾取が行われているという把握だ。そこには特権階級と庶民が断絶しており、庶民が特権階級に対する反撃を行えないようになっており、また、庶民同士の断絶は、た易くお互いがいがみあえるようにシステムが構築されてしまっている。特権階級同士は談合でお互いが競争することが全くないが、庶民同士は競争し合えというワケだ。そして庶民同士の競争によって成し遂げられた果実は、庶民から特権階級が横取りって寸法。
 それがこの作品だと、キャラ全員が問題を共有しており、頭取や現場関係なくお互いが顔をつき合わせて、問題解決も全員で取り組んでいるのが微笑ましい。