とある魔術の禁書目録Ⅱ 第5話

 「心配してくれてるの?」って、ヲマエ、わかってゝ言ってるだろ!。
 ホント、インなんとかさんって天然って感じが今となっては全くしないな。賢い嫁そのもの。この一言でステイルの下心をシャットアウトできるんだから、もうね。で、神裂がまたかわいゝんだわ。でも一言言わせて貰えば、神裂は今回の物語には参加してないよな。なのに準ヒロイン扱い。しかも最後のおいしいトコもってくし。
 法の書完結編。お偉いさんの一言で決着というのとは違っていたが、組織の長の判断で解決したという形になってる。

迂闊にも寝てしまっていたので続き。

 で、アークビショップはどうやらほゞ全員の意図を知って、なるべくその意図に沿うような(ローマ正教を除く)形での決着を指示していたらしい。で、オルソラも当麻にイギリス正教の十字架をかけてもらうようお願いしたのも、その庇護を受けるためってのは確定のようだな。という風に、各場面が精緻に配置されていて唸る。
 で、コレだよ。
 2010-12-14
 大人は貸し借り関係で動くものであるってエントリー。で、コレをまさに活写したのがこのエピソードだといえる。で、当麻以外の誰もが貸し借り関係で動いているのに、当の当麻自身は貸し借り関係ねぇって発言。言っている事はとてもキレイ事で、このキレイ事を信じているから彼は子供って見方もできるんだけど、これが複雑で、実はこの物語上貸し借り関係で彼だけが他人に貸しだけを作っている人間なんだよ。当麻の周囲の人間は全員彼に借りがあるという状態。で、普通当麻のように人に貸しだけを作っているような人間は「お前に貸しがあるから早くそれを返せ」と言わないのが日本での美徳とされている。で、借方の人間は、貸し借り関係ねぇよと言われたらむしろ恐縮してはやく借りを返さねばと思うものである。いや、思わないんだったら浅ましい人間だということに日本ではなっている。で、貸方の人間は早く借りを返せというより、貸し借り関係ねぇよというほうが、より相手に借りを返させるのに効果的なことを知ってたりする。というかそれは人間の選別方法にもなる。返さなくていゝよと言って返す人間は付き合う価値のある人間で、借りたまゝ踏み倒そうとする人間はつきあう価値のない人間だ。物語では当麻はそこまで深読みのできる人間ではなく、純粋に心から貸し借り関係ねぇって考えているって描かれ方をしている。
 で、そういう手法がまたキリスト教の教えからするとすごく効果的になっているのだ。彼のような人間はまさにキリストのあり方そのもの、キリストというのがおこがましいなら聖人のあり方そのものなのだ。だから、彼の生き方を目の当たりにして、アニェーゼ配下のシスターたちが最後に怯えるわけだ。耳を潰したシスターは、困った人は誰でも助けるキリストの生き方そのものを実践している当麻を目にしているワケだ。彼を害することは即ちキリストを否定すること。その教義はローマ正教だろうとイギリス正教だろうと、天草正教だろうと変わりがない。しかし、オルソラという同じローマ正教の仲間を迫害しているのがローマ正教であり、ローマ正教という敵対勢力のオルソラを救おうとしているのが天草正教やイギリス正教という構図になっている。どっちがキリストの教義「汝の敵を愛せ」を実践しているのか、どっちが悪者であるのかは明白。
 しかし、アニェーゼ達を悪人に仕立てたなぁ。自分はこの作品では悪人は出てこないかもと思っていたとある魔術の禁書目録Ⅱ 第1話 - カタログ落ちが、そうでもなかった。配下の背の高いシスタールチアが差別意識まるだしだったりして、オヤと思いはしたのだが、それはカトリックがその性質上異端を迫害する性質のものであって、歴史的に見てもカトリックプロテスタントよりユダヤをキョーレツに迫害していたように、カトリック特有の差別を再現して見せたのかもとか思っていた。が、あんまりこゝにポイントはなさそう。当麻もアニェーゼが救いを求めてきたら助けるとか言ってるし、きっと原作段階で、読者アンケートかなんかで「アニェーゼが救われる話をプリーズ」となったら原作者はほいきたとばかりにストーリーを仕立て上げるのだろう。一応彼女の不幸な境遇は提示して見せたワケだし。フックは作った。あとはいくつかあるストーリーの種の優先順位の話なダケだ。というか、原作では続きの話があるんでしょうか?。
 というわけで、結構切り口はあるのだが、貸し借りと悪人を出して深みを増したよって言及で〆たい。とにかく話の切り口・構成が面白くって二度見三度見に耐える作りになってたのが素晴らしい。第1期やレールガンよりパワーアップした感じが伝わってくる。