オオカミさんと七人の仲間たち 第4話

 おつうが倒れた時の亮士のとりみだしようが、ちょっと異様だったな。
 おつう担当回。いやはや荒川UBのリクルートみたいな奴だな。医療機関のお世話になって、医師や看護婦を目指すってのもアリで、他人の犠牲のもと命を助けて貰ったから恩返しってのも話的にはわかるが、なんかやりすぎのような感じはする。が、これはファンタジーであり、むしろこのくらいの誇張のほうが問題提起としては至極真っ当といえる。
 荒川UBの項でも述べたが、実はこういう報恩意識というのは社会では大変に重要で、おつうのあり方はやりすぎとは言えども、他の面々のように仲間なんだから水臭いってのも、第4話でなされる説明としては少々不親切。御伽銀行が恩の貸し借りの決済機関だから、それを持ち込むのもヘンという言説もなんかおかしい。
 大体にして、おつうが自分が助けられたからといって、家に押しかけてまですぐ恩を返そうとするのは押し売りに近い。社会人になるとわかると思うんだが、まず、自分が助けられたからといって、その恩をすぐに返す機会というのはなかなか現れない。なにか食い物を奢るとかそんな感じでの清算もあるのだが、特に物質的損失ではなく、信頼に関わることだったりすると、そうそうモノで返せるようなものではない。困っている人を助けるような人は、そもそも仕事上のスキルも高く、周囲に対する観察力や配慮に長けている人だったりする。そういう人なればこそ、ピンチに陥ることなんて少ないわけで、返しきれないって場合が多くなる。だから、こういう関係の時には世代を通じて恩が伝達していくことになる。今は人を使い捨てにする企業が多くなってしまったが、そもそもそのスキルの高い人だって、新人時代には上司からいろいろ教えてもらったり、尻拭いをして貰ったりしていたわけだ。じゃぁ彼が上司から受けた恩を上司に返し切ったか?、いやそもそも返せる機会があったのか?と言われゝば、前述のとおり難しい。だから、彼は後輩に対して、上司にして貰ったことをしかえすのだ。ん〜、そうそう、おつうがスグに恩を返そうとするのは、恩を返す機会を待つという形にしたら話がこの時間に終わらないし、こういう構造を可視化することが御伽銀行の説明にもなっているので、話の組立としては全く正しいあり方である事は指摘しておく。
 しかし、最近の企業ってのは、バブル崩壊以来そういう本来の上司-部下の関係が壊れてしまっていて、むしろ上司の失態の責任を部下に押し付ける、つまり上司が部下に恩をかけられるというか、強制的に「恩」を奪うということをし続けてきた。企業内教育をしないで即戦力扱いするという傾向も、これは従来あった恩の上流から下流へという流れを無視するものである。これで、上司…というか経営層や管理職ってのはたゞひたすら貪るだけの存在、恩の超債務超過状態ってことになっている。それで部下や職場にさんざん迷惑をかけてその償いもせず、定年退職で逃げ切りを図る。そんなことが横行してしまっているんだよな。その傾向が著しいのが、団塊の世代から今50前後の社会人。少年犯罪の増加ってのがマスゴミで喧伝されたが、いざ統計を取ってみると団塊あたりの犯罪が増加しているということからもわかるとおり、彼らは上の世代から恩を受けておりながら、それを下に伝えるどころか、恩を無理矢理奪い取るようなことをして、かつ、責任転嫁を他の世代に対して行うというクズだ。あぁなるほど、この作品が、荒川UBが恩の貸し借りについて何でわざわざ一大テーマとして取り上げるのか?と言われゝば、その理由が納得できる。
 さて、仲間なら恩の貸し借り関係抜きとか言っていたが、これは前述の通り説明不足。貸し借り関係の継続性が確認されたからこそ仲間にクラスチェンジするのだと考えたほうがわかりやすい。そもそもこの関係の重要な要素は信用の積み重ねによる「信頼」だ。相手に助けてもらうかわりに、相手を助ける。助け・助けられの関係を継続していくうちに、各人がそもそも助け合わなくてもうまく仕事をこなすことが出来るようになるし、相手のことを深く理解できるようになる。仕事をする際に相手に配慮するようになるから、そもそも危機的状況を招かない。そういう状態に永続性が確認されるからこそ、今さら助けたゞの助けられたゞのをわざわざ水臭いことを言うなという関係になるのである。亮士だって、涼子と付き合うのを御伽銀行の面々に助けてもらいながら、業務を疎かにしたり、組織をズタズタにするような行為をしていたら、決して仲間として認められないワケだ。おつうにしたって、亮士の下宿でかいがいしく「ご奉仕」することが恩を返すということであるとでも言うのなら、それは彼女が御伽銀行の日常業務でいつもやっていることであり、全員が彼女の恩を常日頃受けているということになる。そして各人の特性を生かした分業体制を組むという行為自体が、既に業務自体が助け合い・支え合いになるという構造になる。仕事をすることが即ち助け合いになっているということだ。
 まぁそんなわけで、人の背中を撃つ人間がいて同士討ちがあるような荒んだ職場にいると、こういう作品はなかなか涙無しでは視聴できないものがある。もうちょっとヌるい作品かと思っていたんだけどなぁ。涼子もかわいくなっているし、いゝ意味で期待外れだったよ。さてもさてもおつう担当回が本来の鶴女房を底本としなかったあたり安心した。