一応理念の部分に触れておこう。以下引用。
長い間、NUMMIの執行副社長の地位にあったゲーリー・コンヴィスが、製造副社長に昇進したばかりのころ、当時同社社長だった東款からこう忠告された。「NUMMIの製造業務のマネジメントでは、まるで君には何の権限もないかのようにして取り仕切ってもらいたい。みんな、君が副社長だということは十分承知している。だが、日常の業務では、君が傾聴し、君が身をもって指導にあたり、君が助言し、君が要所要所でコンセンサスを形成することが一番いい結果につながるのだよ。そうやって初めて君自身、みんなから一目置かれるようになるのだから」
東が力説したところによると、トヨタではあらゆる手立てを尽くして社内に「公正」の風土をみなぎらせることが重要だと考えている。職階を少なくするとこと、幹部だけに与えられる特権や特典をなくすこと、マネジャーとチーム・メンバーの色分けをしないようにすることで、それは可能だ。
(中略)
NUMMIの初代製造部長の池淵浩介は、マネジャーに対していつも口癖のように繰り返していた。「肝に銘じてください。私たちは、チーム・メンバーたちが一生懸命働いた恩恵に浴しているのだということを。私たちの仕事は彼らの仕事をサポートすることなのです。それでこそわが社は成り立っているのです。」
うーん、約30年前の台詞とはいえ隔世の感があるな。バブル崩壊後、下請けイジメ、派遣・請負のこき使いで利益を上げてきたトヨタの関係者の発言とも思えない。ネットを徘徊していたら、こんな記事すら見つかった。
http://chubu.yomiuri.co.jp/tokushu/news_toyota/sanpo/sanpo0510_2.htm 魚拓
1990年代、日本経済のバブル崩壊後に流行した「リストラ」と称する社員の首切りにより、実際に職を失った人の数もさることながら、このことが社会に与えたインパクトが極めて大きく、かつ長い期間に及んだのは良く知られている。
戦後復興期、高度成長期を通じて、日本経済の発展を支え続けたのは働く人たちの知恵と努力であったが、経済の成長が止まった時、多くの企業は、これら戦力を社外に放り出すことで業績を維持または改善しようとした。
殊に経営者の判断ミスによる過大投資や多角化等による業績悪化のつけを、社員のリストラでカバーしようとした事例が数多く見られたが、こうした最悪の対策を、最近でもいくつかの大企業が実行するようである。
突然職を失い、収入の道を断たれた人たち、特にいわゆる中高年社員の場合は、本人の社会的、個人的生活が破壊されたばかりでなく、その家族の生活、さらには家庭そのものが破壊された悲しい事例が数多く報告されたのは、私たちの記憶に新しいところである。
昨今働くことに意欲を持たない若者たちが増え、ニートと呼ばれて社会の注目を集めつつあるようであるが、彼らをそうさせている一つの要因として、リストラをされた親の悲惨な姿を見て育った時代背景があると思うのは考えすぎであろうか。
経営者は、自らの判断と実行の結果について社会に与える影響の深刻さを、充分に理解した上で行動すべきであると同時に、意に反して会社を去らなければならない人たちに対するケアを充分にし、社会に与えるネガテイブな影響を最小限にする責任があると思う。
5年前の記事ながら、これ、同じ人が言っている。一貫性はあるわな。いや、今のトヨタにだって良心を持った人はいるんだと思うが、どうなんだろう?。この人がNUMMIであちらの従業員が立ち直る姿を見、そして帰国して日本企業が労働者を切り捨てている様を目の当たりにし、色々考えることもあったんだと思う。まさか日本から偉そうに合衆国に教えてやらんかのごとく技術・経営指導に行っときながら、その後の日本ではまったく反対のことをしでかしてしまっていて、労働者が犠牲になるのを目にするワケだ。で、労働者の自己責任だとかホザいていたわけだろ。子鼠内閣あたりで。で、このような寄稿文になるワケだ。