Hidden Value NUMMI その5

 まぁNUMMIの章を読んでみると、確かにトヨタの「カイゼン」が功を奏したとみていいだろう。しかしなんだねぇ、ちょっとまとめに困るのだが、やはりトヨタも外国でのビジネスということで、日本の労働者と違って気を遣ってはいると思う。トヨタが派遣工に日本の最低賃金に近い給料でこき使っている時に、あちらでは時給換算にしてほぼ5倍の給料を払っていたなんてのが囁かれていたが、組合の力が強いあちらではそうせざるを得なかったんだろう。日本は自民盗や財界が組合をぶっ潰しているのでやりたい放題だった。
 さて、日本と合衆国の違いを見ていきたいとは思うのだが、何せ日本企業は一社だけである。なんともその違いを見出せるのか不安ではあるがだらだら書いてみたい。まず、従業員は典型的なブルーカラー階級である。これは本書でいえばサウスウエスト航空やメンズ・ウェアハウスにあたると見ていいだろう。そうすると企業の源泉としてコストカットで利益を上げる部分ってのはサウスウエスト航空に似ているし、従業員にそんなにスキルが要らなくて、底辺層を受け入れているってのはメンズ・ウェアハウスに似ている。抜き出しは割愛したが、本書の表には一台を生産するのにかける時間がNUMMIでは圧倒的に短いってのが載っていた。効率重視のために行員がせっせと働くイメージはサウスウエストっぽい。で、スキルが低いので企業が研修に手間暇かけて育てるって面はメンズ・ウェアハウスっぽい。
 業務形態としては自動車の生産であるので、まぁ枯れた技術であるってのは他の企業と一緒だ。やる事は限られているんだろう。で、カイゼンなんだが、やはり生産に関する部分については従業員はいろいろ意見を出すことができる。が、本書の他の企業にあるように、従業員は経営の根幹の部分に関ることができるか?と言われれば、Noだ。しかし、メンズ・ウェアハウスだって経営にまでは末端の従業員が口出ししているようでもないので、これはブルーカラーという性質上無理からぬことではあるのだろう。まぁ経営層と従業員ではやはり線引きはなされていると思う。
 で、仕事のやり方なんだが、これは自分が本書を読んだイメージで語っていいのか迷うが、どうもNUMMIピア・プレッシャーを考えると、「従業員同士による相互監視」というのが常に頭につきまとう。チーム・リーダーは就業規則破りにめったに口出ししないそうだが、もし従業員同士での注意がなかったらたちまち指導に入るんじゃなかろうか。NUMMIとしての再開からほゞ15年であり、企業にとっては成長期だったんだろう。「カイゼン」すればそれが生産性にすぐつながったであろうし、同業他社をリードすることも出来た。なによりダメだった過去が目に見えるように「カイゼン」されていくのだ。そういう上昇期だからこそ、この相互監視システムが気にならなくなっていたのだと思う。
 あと、日本と合衆国との違いできになるところは、NUMMIを見ていると製品の品質を上げることが顧客を守ることなんてのを見ると、日本はどちらかといえば生産性、もっと極言すればモノ重視だという気がする。サウスウエスト航空なんかをみると、確かに効率を重視をしてはいるものゝ、ユーモアを大切にして、そのせいでクレームが来ても社員を守っている。企業(経営者)が従業員を大切にするからこそ、従業員が顧客を大切に思うってのは、人間…ヒト重視のように思えるのだ。NUMMIと同じく研修を重視しているメンズ・ウェアハウスも、どちらも社員が他の企業より大切にしてもらっていると口では言っていても、NUMMIよりはメンズ・ウェアハウスの方が経営者に対する尊敬の念が深い印象を受ける。
 なんつーか、合衆国は西欧文化圏であるせいか、確かに本書を読むと個人主義的な感じを受ける。極力個人の力で仕事をするのだが、それでもアドヴァイスは周囲がするのだろう。が、最終的な決定は個人でしている*1ように感じる。「カイゼン」だとお互いの職域関係無しに口出しがなされ、最善策がとられるようなイメージが湧く。そりゃ最終的判断は人間がすることになるのだろうが、たぶん決定を左右するのは人間の判断というよりは生産性があがるかあがらないかという「数字」なんだろうと思う。たしかにチームワークではあるのだが、では個人の集合体であるところのチーム最善主義か?といわれゝば、なんか違うような気がするんだよな。で、「カイゼン」の具体的アイデアは表面に現れるか現れないかは別にして、あちらだと個人に蓄積されるようだが、日本だとなんかあやふやな感じ。もしそのアイデアが利に適って固定化されるようなものになったとしたら、それは「型」に収斂していき、時間が経つとその合理性はなかなか想起されないものになっていくような気がする。まぁあちらもこちらも程度の差はあれど慣例みたいなものになるんだろう。
 まぁ捜せば他にもあるんだろうけど、本書の構成が「成功した企業に共通する要素はなにか?」であって、日米の差異ではないので、そういうのがわかりにくゝはなっていると思う。ただ、やはりNUMMIの章を読んであぁやっぱりそうかって部分が従業員の相互監視のところだった。あちらは他人の背中を押すことが重視され、日本では他人の足を引っ張る(といってもこの場合は目的達成のために賞賛されるべきことなのだが)とは言わないまでも行動を制限するってのが大きいような気がするんだわ。現場に権限は渡されていないわけではないんだけど、業種の性質はあれ、やはりNUMMIでは個人の裁量は狭い。そしてNUMMIというか日本式経営のやり方がうまくいくかどうかは、やはり経営者の人格に大きく左右されるんじゃないかと思うのだ。そしてNUMMIGM破綻の折には、たぶんドル箱だっただろうに切り捨てられた。そしてそれは多分に文化の差が大きかったのではないかと思われる。NUMMIのやり方の一部はあちらの企業でも取り入れられたとは思う(ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か)のだが、トヨタの生産方式が諸手を挙げて歓迎されたとも聞かない。反面日本には合衆国では裁量を与えられた上での自己責任が、裁量抜きで取り入れられ従業員が追いつめられた。なんかこういう成功例を目にしても、実際には双方阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられるというこの皮肉。

*1:ダメな場合でも、経営者個人が言い渡すのだろう。