自分の中で考えが今一つまとまらないんだが、ネットでは郊外型店舗と地方のお話で盛り上がってるな。

 北沢かえるの働けば自由になる日記
 トカイとイナカとジャスコ
 昨日もそうだったが、思いつきでダラダラ書いてみる。話のキモは物質的な差異はもはや都市と田舎ではほとんど無いっていったところか。モノに付随する文化なんて、商域が本当に東京だけに偏っているとでもいうのなら、東京にこだわる必要もあるんだろうけど、東京ですらモノを媒介とした流行ってのが、何か一つの中心地を軸として発展・再生産していく時代でもないのかなと思う。同人誌なんて、コミケ会場に文化が常駐しているわけでもないし、じゃぁ常設販売所としての秋葉原が、作家や、同好の氏の交流の場となっているか?と言われると、(詳しくないので断定は出来ないが)違うんじゃないかと思う。服飾にしたって、やれ下北沢だとか原宿にデザイナーが住み、そこでの生活が文化として実になり、それが作品に結実していくってものでもないだろ。その当時そうだったのかはわかんないんだが、竹の子族のように、キテレツなんだけど、それに憧れる層がいて、わけもわからずに勢いで集まってみれば、そりゃ軋轢もあるだろうが意気投合もしで、繋がりが出来たりそうでなかったりってのはもう今の時代想像が出来ない。もう東京は規模がでかいだけの消費地に成り下がっていて、そこには商材を売らんかなのにおいしか感じない。
 で、実際のその東京という大消費地に文化とは言えないまでも、娯楽なりを提供しつゝあるのが、地域ならぬ「地域性」なのかなとも思うのだ。無理矢理アニメ作品にこじつけてみれば、聖地巡礼などの作品舞台のこだわりってのがそうだ。正直イオンだけじゃなくって、もうすでに東京の商材が地方に伝播するって状況が続いているので、地方にあるモノなんて別に地域性などほとんど失われているわけなんだが、でも風景なり、原作者がそこに対して持っている思い入れを含んだ土地柄ってのが、画一的なモノの供給に飽きた消費者に目新しさをもたらしていたりする。
 で、どれかのエントリーにもあったが、結局は都会性なんて便利さの言い換えに過ぎないってのはなるほどと思った。便利だったら都会だとか田舎だとかはあまり気にならないってのはフムフムだ。むりやり田舎は人間関係が濃密だとか、いや都会は人間関係が本当に希薄なのか?、いや田舎によっては都会以上に人間関係が希薄なところもあるだろうとあれこれ想像して、いや土地それぞれじゃね?とどうどう巡りをしている。
 だが、顕著なのは経済格差なんだろうなという気はする。地方だと全く就職先がなかったりするワケだ。定年後は田舎に移住っていうキャンペーンもあったが、それで生まれる雇用は福祉だけかよってのがわかり始めてきた。で、福祉では食えない。都市部だってニュータウンは高齢化で、これからどんどん都市部もこれだけ不景気が続くと雇用が減って老人だけの街になっていくわけだ。下手をすると今、田舎が限界集落とかいって高齢化が著しく進んでいるという印象があるが、都会ですら「人は多いのに限界集落」ってことにもなりかねない。地方と都市との格差、どちらかというと文化的格差ってのはこれから縮んでいくのかもな。
 で、郊外型大型店舗ってのが東京より便利ってのもなるほどだ。大型であればあるほど、モノの種類が増え、選択肢は多くなる。それが限られた土地に集中しているのだ。結局買い物客にとってみれば、昔の駅前商店街が、昔とは比べ物にならない大きな建築物の中にすっぽり入っちゃっているって構造になっているんだろう。昔は企業城下町といったら、生産の場を言ったが、今は消費地としての企業城下町ジャスコという一企業が大きな建物の中にすっぽり町を作っている)と言うべきか。
 考え方として、それもアリな時代になってきたんだろうなと思いながらも、でも、一小売企業に消費を通じての行動を管理されるって気味悪さを感じてしまう。そこでの買い物客が、そこでの働き手にもなりうるって構造がいいのかどうかも判断つかないな。阿久根で生じたのが独裁であるってのを考えても、ここまでの消費行動の効率化がいいとも思えないんだよな。大規模化、効率化で価格も下がるんだろうけどさ。消費を見据えない生産もアホだが、消費ばかりってのも怖い。
 しかしなんだね、東京と変わりない消費ができるから、大型郊外型店舗もオッケーってのがどうもしっくりこないんだよな。でも現実にはそれしか社会を構築・維持するってシステムがないから、それに頼るしかなく、それを基礎としてまた社会が再構築されていくのかなと。それにかわるモデルがあるわけでもなく、いやその次の段階である、モデルがあって実際に上手くいくっていう方法を、自分が提示できるわけでもないんだけどな。それしかないって状況に追い込まれ、考える力自体を失っていくような気がするんだよ。だって企業に選択肢を用意させ、消費者はその中から選ぶだけなんだろと。じゃぁ企業としては自分に有利なように選択肢を用意するわなと。やっぱその末にあるのは、自民盗が今までやってきた独裁と変わりないジャン。しかも選んでいるという消費者は、選ばされているだけってことに気付きすらしないワケだぜ。善意の独裁者を期待するのがどれだけ愚かなことか、長年の自民盗政権で嫌というほど味わっているのにな。かといって地元の商店街が正しいかっていうとそれもどうかなって感じで。かく言う自分だって、現実に存在するものからの選択だけしか出来ないわけで…。