優希も咲も見えてるだろ。
いやはやしゅーりょーです。ラスト全国大会の一部描写の様子からすると、まだまだオレたちの戦いは続くエンドのようで、続編を作っても作らなくてもよいことを念頭に置いているっぽい。少なくとも四校合同合宿の余韻に浸りつゝ、さァ全国大会だって感じではなかったな。
というわけで、最終回としてはちょっと散漫なものだったかな。が、自分的には地方大会で得られた知己との繋がりに重点を置いた終わり方のように感じた。で、これは清澄が勝ったからこその流れなんだろうなと思う。龍門渕が勝ってたら、他の高校は無視されていたであろうし、風越が勝ってたら、キャプテンを中心に自分たちだけで盛り上がっていたであろうし、鶴賀だとそれこそ加治木と桃子だけの世界になっちゃう。
清澄内を見渡してみれば、咲と和がクローズアップされるものゝ、キャプテンの竹井のマネジメントを軸に、部が成り立っている。対外的には和が他校とのハブになっているのだが、やはり竹井いてこその繋がりになっている。片岡のハメ外しにも寛容で、無理なく組織をまとめているという描写。
いや、もう最終回の感想というよりは総評になっているわけなんだが、やはりこれは組織のあり方がかなりのウェイトを占めているように感じた。タイトルにある通り、咲が主人公かといえば、ちょっと違和感がある。どちらかというと頭脳的プレイで評判の高い和のほうが実力があるっぽいが、彼女を打ち負かす上位の存在として咲が居る。和がいかにも女の子っぽい描写なので、咲はどちらかというと役割的にヒーローの替わりなんかなとも思ったが、性格が女であることを除いても、立ち位置的にはやはり男の代役ってのとも違う。そしてなにより咲はヒーロー物にあるべき成長をほとんどしていない。主人公としては圧倒的に弱い印象しかない。とすれば、やはりこれは人間そのものというよりは人間関係を描写したもんなんだろうと思うしかないワケだ。
で、散々述べてきたとおり、各校のカラーがいろいろな組織立てとして現れていたわけなんだが、面白いことにどの高校も組織のために人を切り捨てるということをやってない。例えば、日本の企業のあり方として、会社の利益のために個人があり、その目的にそぐわない構成員は要らないというのがある。先の大戦での日本のあり方もそうだ。戦争に勝つことが目的であり、それにそぐわない人間は非国民なワケだ。だが、ここで示された組織像は違う。麻雀に勝つために麻雀部があり、それにそぐわない部員は辞めてもらって結構ってスタンスじゃない。もちろん大会で勝つ事は目的ではあるのだが、その目的に向かって各校がいろいろ創意工夫をし、その中で人を活かすことが肝要になっている。そして人と人とが馴れ合うために組織があるってグダグダにもなっていない。人を切り捨てて収益をあげてはいるが、グローバリズムに対抗するために人を使い捨てにしていたはずが、いつのまにやら世界に対抗できる実力を失っている日本企業とか、国のために人を犠牲にした大日本帝国がやらずに済んだ戦争をゴリ押しして、国が滅亡してしまったとか、現実のほうが逆説的な感じだ。ここに描かれているのは、自分が属している麻雀部という組織、というより組織の構成員を大切にしてきたがために、大会を通じて成長もし、組織内のゴタゴタが昇華され、上位校との真剣勝負でさらに大きな繋がりができるというものであった。ここには実力とか成果に関係の全く無い、政治的駆け引きによるポジション争いはほとんど見られない。
ホント翻って日本の現状を見渡してみればヒドい。デジカメの分野ではどうやらキャノンが一人勝ちの様相だが、かといってデジカメが世界規模で売れているか?と言われればそうでもない。クルマにしたって、トヨタ一人勝ちに近い状況で何が起こったか?。国内購買力がガタっと落ち、合衆国ではトヨタバッシングに近いリコール問題が起こった。携帯端末にしろ、白物家電にせよ、国内企業どうしの足の引っ張りあいで、単機能の海外製品が使いやすさ、デザインなどで日本人の選択肢に上ったりする。そしてコスト競争で、技術の海外移転を国内企業が積極的に行った結果、産業の空洞化が加速度的に進行し、世界の工場の位置を他国に明け渡してしまった。同じ日本人同士が協力することもなく、というか経営層が積極的に国内の技術者を使い捨てにし、技術を他国に売り渡し、そしてコスト競争をすれば勝てると新興国に知らしめて日本の立場を危ういものにしたのだ。
ところが、この作品では、マネジャーなりリーダーが、そういった現実の日本の経営層とは全く逆の描かれ方をしているワケだ。他校に勝つことを放棄しているわけではないが、組織員を大切に扱う。竹井が片岡を厳しく縛ったらどうなるか?。多分片岡はあの奔放な性格が序盤での集中力に大いに寄与している(多分集中力が続かない、そして一定時間経つと対応される)と思うんだが、それを削がれるだろう。福路がコーチと同じように(というかコーチの手先みたいな感じで…というか、コーチが福路にそういう態度を強要したら)部員に強権的なプレッシャーをかけたら、他の部員たちは心が折れるだろう。桃子が存在感のなさを否定されたら?、佳織がビギナーズラックを否定されたら?。透華が規律を重んじて、他者を縛り付けるようなことをしたら?。一なんて誘ってももらえなかったろうし、衣も初めっから見捨てられていただろう。
大日本帝国の為政者が「国のため」と言った時にはそれは特権階級の利権のため、現代日本の経営層が「会社のため」とか「社会のため」と言った時にはそれは特権階級が私腹を肥やすためなんだが、そもそも「個人」に「組織のため」と言う時の「組織」ってのは、その「個人」も「組織」に所属している大切な一員ってのが欠けている。そして「個人」の集合体が「組織」なのであるってのを嫌というほど描写しているのがこの作品ではないのかと思うのである。
というわけで、これは当初想像していたスポ根モノとは一線をかくした作品のように思えた。原作者は女性ということなので、絶対的価値観をぶち上げて、あとのものはそれに付随する構成物ってのではなくって、あくまで人間の良好な関係性を表現するのはそうなのかもと思ってみたりする。陰湿な関係ってのはできるだけ排除されてたよね。まぁいろいろな性格のチームを挙げて競わせる作品はいままでごまんとあったけど、ここまで組織論というかリーダーの構成力にこだわった作品ってあったっけかな?。お色気もあったけど、基本清々しかったしな。
そんなわけで、組織論という視点で視聴するようになってからは抜群に面白いと感じた作品でした。いや、なかなかいいですよ。あんまりキャラ個人に入れ込みすぎると見誤るかも。おもろ+。