で、オリエンタル・デスポティズムから日本を解釈してみる。

 本書の最後の章ではソ連(この本の初出は1950年代)について述べてある。まず、昔のロシアが水力中心の周辺にあり、水力社会に影響されて専制国家となったこと、そして、ロシア革命でソヴィエトは社会主義的民主主義国家として生まれる予定だったのに、晩年のレーニンからして官僚制専制国家となることを容認したことを挙げている。そしてその権力の源泉となる富を生み出す装置は、もはや農業だけでなく、工業機構もあることから、彼は「機構国家」とこの専制国家を名付けている。

  • 大雑把に日本の歴史を振り返ってみると…

 著者のいう通り、大概日本は亜周辺、すなわち封建国家だったわけだけど、ずっとそうだったかどうかをふりかえってみたい。
 まず、大和朝廷が最大としても、今の近畿地方を拠点とする一豪族であったことからすると、日本はそもそも封建国家という色合いが強かったと思う。今話題の邪馬台国にしても、出雲政権にしても、狭いといえども日本各地にいろんな勢力が散在していたんじゃないかと思う。で、大和朝廷がそれらを征服して一大勢力となったといえども、どちらかといえば緩やかな連合体ってイメージが自分の中では強い。
 で、一大転機が大宝律令の制定だろう。これは中国は唐という水力社会を手本にしただけあって、まず、土地私有を禁じており、土地は国家(天皇か?)のものって規定になっている。ここはやはり中央集権国家を目指したものとみるべきだろう。
 が、班田は早い段階から崩壊したようだ。天皇制自体が、貴族たちの隆盛により形骸化し、名目上の支配者天皇と、封建領主たる貴族の関係に変わっていく。
 で、平安後期からいわゆる宮廷貴族から強制力である武力を保持した武家に移行しただけで、やはり封建制ってことに変わりはない。戦国期も、元祖ネオリベとの呼び名も高い織田信長、そしてその後を受けた豊臣秀吉が全国統一を武力で行ったにせよ、やはり地方は大名に与えられた封建制だ。もちろん徳川政権も、江戸を中心とした直轄地を徳川家がかなり占有するも、基本は地方大名との封建制が維持されている。
 そしてまた転機は明治維新に訪れる。地租改正だ。ヘンな話、これは私的所有権が確立したといわれているが、実体は政府による土地管理の徹底だろう。まず、これにて封建領主から土地が取り上げられる。入会地などが官有地に編入される。全国一律の税収制度が確立する。これらが一政府のもとで成立したわけだから、あきらかにこれは水力社会、すなわち専制国家の方向である。
 が、結局これも崩壊していく。苛烈な税制のため自作農が小作農化し、寄生地主すなわち市井の封建領主が隆盛するのだ。商工業面でも、官営工場が私営化し、財閥が発生していく。形としては天皇を中心とする専制国家になってはいるが、実体は農村では豪族が復活し、政商が産業面での貴族となって、水力社会もしくは「機構国家」からは逸脱していく。昭和に入って軍部が暴走していくのだが、これも見方を変えれば、産業界と結託した軍産共同体という一大貴族が暴走したとみれなくも無い。
 そして戦後また変革が起きる。農地改革だ。これも見方を変えると、封建領主たる寄生地主から農地を取り上げ国有化し、農民たちに貸し与えるという形になる。農地の相続が非常に優遇されているから、本質がわかりにくくなってはいるが、戦後間もなくの頃から、相続税は非常に高率、しかも高額所得者ほどより失うようになっていたから、これは私有の否定に近い。そして生まれたのが自民党を支配者とする専制国家である。これは冒頭でいうところのソヴィエト連邦の「機構国家」にあたる。国民の財産の所有を国家が制限し、官僚制を駆使して工業国としての発展を遂げたというのはまさにそうだろう。日本が世界で一番成功した社会主義国家であるとか、日本が一番独裁の完成した国と呼ばれるのも無理はない。冷戦時代、西側すなわち自由主義国家群に属していたから紛らわしいのだが、本書の定義によると戦後から成長期の日本というのはあきらかに専制主義国家であった。
 さて、現在の日本がそうなのか?と言われると、これがまた微妙だ。農地の所有という点に関しては、確かにまだ高齢者が農業を維持している現状を見ると、水力社会が続いていると言えるのだが、たとえば子鼠・ケケ中の大規模集約化・企業参入という概念はあきらかに大企業という封建領主による土地私有を目指しているといえる。相続税も一時は75%の高率だったのが、今や最高税率は4割程度という有様。貧乏人の相続税も低下しているから勘違いしやすいのだが、これは貴族が財産を保全するのにかなり有利なルール変更だ。
 これらの機構国家から封建主義への復古はいつから起こり始めたのか?と言われれば、やはりだいたい土光臨調あたりからだとは思う。プラザ合意・バブルへの流れを見ると、あの時点で既に大企業優遇、そしてその大企業に依存せざるを得ないよう労働者を誘導していったのは今までの推移を振り返ると納得するだろう。これを面白いといっては不謹慎なんだが、戦後成長期の機構国家へと誘導した支配者である、自民党自身がおこなってきたことがなんとも感慨深いのだ。ただし、これは本書における官僚制ジェントリーが封建領主を目指したものとすれば説明が付かないこともない。
 さて、話は逸れるのだが、戦前の大日本帝国が、天皇を頂点とする専制主義国家であるという形をとりながら、実質は財閥・軍部によって構成される封建制であり、むしろ天皇は実権を持たない支配者であるというのが面白い。そして、戦後しばらくの日本は多数中心社会という西欧をモデルとする民主主義国家という形をとりながら、その実体は自民党を支配者とする専制主義国家であるっていうのがなかなか海外には理解されにくいことだと思う。しかも自民党というのは支配者として意識されてはならず、また実際にも一人の独裁者がいるというわけでもないから、国民へのめくらましとして天皇がそうであるという理解を強いてきた。「君が代」の強制なんてモロそうだろ。人格としての支配者がいないから、象徴天皇や日の丸・君が代で代行させる。
 が、自民党の昨今の皇室への配慮のなさ、たとえば子鼠あたりの女系天皇容認論や、最近では学習院での皇族イジメ問題*1などをみると、日本を単一の専制国家として統治するという意思は自民党からはもう既に感じない。彼らにつきまとうイメージはひたすら「国有財産の私物化」である。で、これは特にバブル崩壊後のこの「失われた20年」で顕著に感じられることなのだ。支配者が複数だったために実質上の単一の支柱が無く、支配者の構成員の一斉の貴族化。商工業の財産所有の確立とともに彼らと結託して行われる封建領主化というのが今回の読書にて無責任にも思いついたことなのだ。

  • で、日本はそのどっちが幸せなのか。

 本書を読んでいて、書かれていないことではあるんだが、気になることがあった。水力社会が専制主義だからといって、庶民がそれについてどう思っていたか?ってことだ。上記リンク先にもある通り、水力社会はその圧倒的な富の生産力から、扶養能力が著しく高いというのが特徴だ。14世紀後半で、ロンドンの人口3万5千、コルドバ100万以上だから、豊かなのは水力社会のほうだ。水力社会のほうが、専制政治を維持するための軍機構が発達していたというのもあるが、封建制のほうが国をひっくり返す暴動が多くて、水力社会はサボタージュはあれど、大規模な反乱は起きにくかったとある。
 ただし、現代では先進国は農業にて食っているわけではなく、かといって商業は国際金融資本に支配され、工業は今や中国が世界の工場になっているわけで、機構国家を目指すことがその国を豊かにするとは限らない。クルマもデジカメももう輸出産品としては消費期限ギリギリの状態で、その分野でイノヴェーションは期待しにくい。見直されたとはいえ、ゆとり教育からの転換も新興国の追い上げに対処できる段階では既に無く、大企業を支えてきた中小企業も虫の息である。
 まぁそれはともかく、近代、すなわち明治日本から振り返ってみると、維新からのしばらくはとりあえず試行錯誤の連続で、安定しなかったから判断が難しい。が、日本が自前の工業力で本格的に重工業生産を行う大正期ぐらいになると、工場労働者の労働環境はとにかく悪かったといわざるを得ない。大恐慌後ならなおさらである。これは欧米でも一緒で、いくら財産の所有が認められ、民主主義国家というのを標榜していても、大企業、すなわち近代の封建領主はいともたやすく庶民を絞り上げる。労働者はとにかく使い捨てなのだ。某政党の労働大臣がいみじくも「女は生む機械」とのたまったように、「男は働く機械」であって、人間ですらないのだ。奴隷ですらない。封建領主の権化である軍産共同体の取った態度は、開戦前・戦中は、それこそ兵隊は使い捨てだった。
 戦後の成長期は、上記にある通り、自分は専制国家だったと思っているのだが、じゃぁ戦前にくらべて庶民への圧力が強烈だったのか?と言われれば、戸惑う。人口は成長期に既に一億を超え、現在一億三千万であり、高齢者率の違いはあれど、例えば昔は所得が低かったのに、現在と比べれば労働条件が劣悪だと感じない。社会保障が整いつゝあったために、出生率も高いと見なしている。終身雇用制のため、強制されていなくても一旦選んでしまうと職業の自由が制限されているという状態で、所得税相続税など今より低かったわけでもない。本書にあるとおり、専制君主は別に庶民に対して慈愛の心をもって統治していたわけではなく、君主自身の利益の最大化のために庶民への管理を最適化、すなわち苛烈な政策も思いやりの政策も適宜採用していただけのことではある。成長期の日本もそうだったのだろう。
 で、現在だ。支配者である自民党が成長期の官僚と結託し、官僚制ジェントリー化したのであろう。産業界も経団連というものが政治に口出しをしてはいるのだが、よくよく考えてみれば戦後解体された財閥が復活し、ここ最近離合集散を繰り返している。〜ホールディングズってのがそうだろう。で、これがまた大恐慌時と同じように労働者を抑圧しているのだ。政府が雇用を促進するどころか、自民党あたりは移民で日本人労働者の賃金抑制誘導を行ったし、労働法なんて無きが如しだろ。上記のとおり、労働者なんて使い捨て、必要になればグローバルに低賃金労働者を導入すればいいだけのこと。自民党なんてもう国民に雇用を作るという考えが無いから所得税で税収を上げると考えられないし、今国民が持っている金を最大限効率的に吸収するために消費税を上げるということを平気でぶち上げる。いや日本国民を消費者とすら思っていないわけだ。だから子ども手当にも自民党は反対する。それで行き場のなくなった国民に社会保障制度を充実させて救うという視点も無いし、そんな金があったら私物化したいだろう。からだが元気ぐらいしかとりえの無い庶民は徴兵制で命の使い捨てだ。
 だから、西欧の封建主義が商工業の財産の私有を許し、資本の蓄積が工業を促進して、農業を中心とする水力社会を圧倒するような発展をしたからといって、日本の政財界による封建主義化が望ましいか?と言われると、現在の段階では疑問が大きい。水力社会、その発展型の機構国家がソヴィエトや共産中国の官僚専制主義をもたらし、結果として没落したからといって、戦後しばらくの日本はそれで上手くいっていたというのも考慮に入ってしまう。水力社会というか専制国家というのは必然的に停滞をもたらすものではあるのだが、停滞をしても結果として庶民が飢えずに安定した生活を送れるのなら、一考の余地はあるだろう。専制主義がいいのか、それとも封建制がいいのかといった単純な二項対立では無いとはわかってはいるのだが、なんか日本に合ったやり方を見つけるための切り口は無いもんかねぇと、ダラダラ書いてみた次第。

*1:20年前だったら、イジメた当人は放校モンだろ。でもあれだけコッキコッカとか言ってた自民党はスルー