なんか本職の人っぽいので、的外れなのかもしれないのだが。

 2008-02-14 - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」
 そもそも死刑存続廃止の論議をしているのかどうかも不明だが、なんというか死刑廃止論者に共通する点として、

  • 死刑に相当する加害を行った側の犯罪行為についての論考がない。
  • その犯罪行為をいかにして防ぐかの視点がない。
  • 自分が被害者になった場合の視点がない。
  • 犯罪行為者の悪意を無視する。

 という傾向が著しい。死刑廃止運動をやっていた弁護士が、自分の身内が殺された途端死刑賛成派に鞍替えしたことなどとか、ほれみろといった感じではある。
 そもそも古代、人口密度が極端に少なくて食糧確保が容易だった時代はともかく、一日の食に事欠くようになっていき、食料を取った取られたという、現代からすると些細にも思える事象がまだ人の生き死にを決めていた時代に、そういうことが言えるのか疑問である。厳しい環境で人と人とが否応なく共同作業なり社会運営をして生き延びていかざるをえない状況であったとき、死刑で懲罰せざるをえない組織は数限りなく存在したことと思う。
 で、そもそもJMM-JMM | 村上龍電子本製作所 - カタログ落ちのように、国家なり、国家まで発展しなくとも、ある種の共同体で、どんな運営方法が人類黎明期にどのような割合で存在していたのか、プリミティブなところでの論考が必要だと思う。唯物史観のように、財の蓄積が行われて、その配分方法を強権的に行う絶対的主体が統治するような格好だったのか、それとも古代中国の聖王*1のように、共同体の構成員を調整する役割の人間が存在して、比較的共同管理的な方法で国家が運営されていたのかによっても違うと思う。結局現代において、「昔はどうだったのか」ということについては、今までに発掘された史料をもとにするか、類人猿や高等生物の集団を観察することによって、“推測”しかできないわけで、真相を知りえようもない。
 現代は、それも先進国ではほとんど食料に関しては、よっぽど国家運営がマズくない限り餓死など起こりようがない社会ではあるので、人の死が簡単に金で換算され、それの清算行為でなんとか現実から目を背けることが今まで出来てきたというだけの話のような気はする。江戸時代の警察・司法機構がすごく単純で、そこに割かれる予算も人員も極小であったのは良く知られた事実だと思うんだが、しかし、それはあまりに難しく、まともに取りあっていたらコストばかりが肥大してとてもやっていけないから、個人に解決がある程度任されていたのだと思う。現代において、司法制度が機能しているか?と言われれば、いや本気で破綻しているといわざるを得ない。実際に人が殺されて、加害者に負担能力がなく、被害者(というより遺族)が泣き寝入りしなけりゃならない例が山積みである。そもそも金でかたがつくような問題ではないし、じゃぁせめて金でかたがつけられるのか?と言われれば、払えずに被害者が我慢させられるという状況。で、人命尊重の美名の元、加害者はのうのうと生き延びて、場合によっては税金によって保護される始末。やったもん勝ちを司法が推奨しているような現状になっている。物質的に豊かになれば被害者への補償がなされるのかといわれれば、そんな事はないというのが実証されたようなもんだ。また、金で人命が換算され、しかもこの市場原理主義に社会的価値観が侵されるにつれ、特権階級とそうで無い層の命の値段にまで格差がつく始末。もう司法制度が機能不全を起こしているというのを通り越して、害悪にしかなっていないと言えよう。社会が何とか持っているのはむしろ条文法の厳密な適用ではなく、明文化されていないモラルがかろうじて存在しているからなのかもしれないと思ってみたり。特権階級は自分に都合よく法律を制定・改定するし、一般人にとっては法律は「守るべきもの」というよりは「判断基準」ぐらいにしか機能していないんじゃないか?。まぁ昔からそうだったといえるかもしれないが。
 しかし、本当に日本が近代国家なのか、近代国家を標榜していても、どの点は守られていて、どの辺は全然近代とはいえないのかという細やかな社会を考察すること無しに、近代国家の理念のみを基準に性善説死刑廃止論を主張されても困る。特権階級が下層民には死刑をちらつかせて脅迫しながら、自分たちは都合のよい法解釈で脱法行為を見咎められもせず、かといってあからさまな懲罰手段を死刑に頼ると反乱でもおこされて困るから、「百姓は生かさず殺さず」という自民党政権の存在を抜きにして理想論を語られてもね。追い詰められて自殺とか「自己責任」で片付けられて、実は死刑制度維持側も、死刑廃止論者も、現実をちっとも見ようとしないで自分のことばかりしか大声で主張しているとしか見えない。警察の発表する犯罪統計も、発生件数・検挙率など、捏造資料である可能性が多いわけで、アングラな部分が時代の変化とともにどのくらい露出しているのか正確な裏づけの取りようもない以上、何が正しいか手探りの状態で、でも人間としての尊厳は維持したまゝやっていくしかないとは思うんだが。

*1:おそらく神聖化のためにウソが多く含まれているとは思うが