君に届け 第14話

 すべては最後の一言のために。
 前半のあまりにも非現実的な展開に、「そりゃありえないだろ」とツッコみを入れながら視聴していた。が、そもそもこの作品は爽子の存在自体がありえないわけであり、現実社会にありそうな設定を使いながらも、とにかく綺麗事をどれだけ演出できるかに賭けているわけだ。どうせウソをつくなら思いっきりウソをついていいから、その代わり最高の感動モノにしてやれってわけだ。「好きな人に悪く思われたいわけないよ」と想像できる爽子が、そもそも悪意を含むくるみの感情に気付かないハズはないわけで、どれだけ爽子自身に向けられるものが悪意でしかないという状況があらわれても、それをものともしないのは、彼女が天然だからってのは、さすがにありえないだろうと思うのだ。
 もちろん、爽子がそれまで放置状態だった自分に、友達や恋愛対象が生まれるなど、未知の体験で物事を何でも前向きに考えることの出来る幸せな時期だからこそ、自分に向けられるものが悪意だとも思えない、もしくはそれが気にならないほど毎日が充実しているって見方も出来る。が、そんな後付け的な理屈がなんの役に立つのだろう?。その他、くるみがついに口頭でも噂の張本人が自分であると暴露するのも、吉田が漢気を示して過ぎた事は無しにして許してしまうとか、いくらなんでもありえんだろ。で、面白いのが矢野の風早への告知だ。こればっかりはリアリティが感じられ(いやそもそもそこにいたるまでがありえない状況なのだが)る。
 綺麗事ではあるんだけど、人間の感情からすると絶対にありえないものを見せつづけても、非現実的で白けてしまうのだが、こういった「もしかするとそれはありうる」って要素を絡めるからこそ、メリハリがつくわけだ。その辺のバランスはよく練られれていると思う。で、爽子がなぜ、視聴者からすると考えられないような台詞・モノローグを吐くのか、とさんざん疑問に思わせて、最後の一言ですべてを納得させる。視聴者の見たいウソをこれだけ劇的に演出するってのは、こりゃなかなかの出来だわなと実感した次第。