夏目友人帳 第4話「時雨と少女」

 ドッヂボール部なんて、小学生じゃあるまいし。
 うーん、ここ4話に至るにあたって、心と心の触れ合いうんたらが主題なのかな?という色が濃くなってきているわけですが、さてと。今までも時代から取り残された人々を被抑圧者として描くという側面はあったわけなんだが、むしろ今のように日本人のほとんどが自民党によって負け犬に突き落とされるまでは、彼らは本当にマイナー層であって、特殊事例とも言われるべき人々だったと思う。で、彼らが構造に気づく気づかないを別にして、積年そういう地位に据え置かれていたわけで、彼らの怒り・憎しみ・悲しみは幾許かのものともしれないわけだが、それを一時のカタルシスとして処理するのは、物語的には美しいわけではあるが、どうもズれているような気がしないでもない。
 まぁかといって、この作品が原作、アニメ版とも別に社会の変革を巻き起こすのが目的でもないだろうし、「ちょっとイイ話」で終わるのもスタイルとしてはうなずけるのではあるが、なんか、一時の感動として消費して、抑圧−被抑圧構造が温存されていくってのもアレだなぁと。
 今回の話にしたって、ちゃんと商人が技能者の善意を食い物にして、彼らを被抑圧者として扱い、長年苦しめたって構造は描写されているわけで、たしかに解放のきっかけとしての歩み寄りというのは納得できる話である。夏目が行っている「名前を返す」という行為が、このケースの場合、その後どう繋がっていくのかについての仄めかしもなかったわけだが、なんか食い足りない気分である。消えるのか、新しく生まれ変わるのか良くわかんないが、伝説にまでなって人口に膾炙しているわけで、個人の認知というものが集団による認知に変わっていないまゝっていうのも、人間として無責任だよなぁと。
 えぇ、まぁ一過性の物語としては非常にイイ話にはなっていると思うんですけどね。