例の「労働者は奴隷たれ」のアレ。

 面白い日本電産の言い分 - 世迷言、なれど本人至って真面目
 日本電産といえば、Nidecブランドの静音ファンで、たぶん4〜5年ぐらい前に見知った会社だ。該当社HPから現社長のヤバい発言が削除されるのも時間の問題なので、引用はありがたい。Wikiだと社長のイメージが今一つきにくいのだが、Wikiからリンクされているゴミ売りの記事がわかりやすい。いや、なんというか自分が言うのもなんだが、余裕が無い人だねぇ。自分の場合は逃げようがないというのが大きいんだけど、この人は自分からわざわざ頭を硬くしているみたい。では早速。

 小学校に入ったのは1951年。日本がまだ貧しい時代でした。

 3年生のクラスに金持ちの息子がいて、家へ遊びに行くと、帰り際にジューッと音がする赤いものを焼いている。何かと尋ねると「ステーキっちゅうもんや」と言って、少しくれました。お父さんの職業を聞くと社長だという。「社長になったらこんなうまいもん食えるのんか」と思いました。

 「モーターは面白い」と思ったのは、4年の担任の先生がきっかけです。金持ちの子を大事にし、手を挙げても当ててくれないひどい先生でしたが、授業でモーターのキットを組み立てた時、「お前、ようできてるな、このモーター」とほめてくれました。今にして思えば恩人の一人です。

 うーん、ステーキが当時上等な食い物だったのはわかるんだが、それほど日常の食い物を受け付けないということなんだろうか?。食い物が上昇志向のインセンティブだったと述べるのもなんだが。
 話はズれるのだが、この教師もどうだろう?。昔だったら金持ちをヒイキしてダメ教員じゃねぇか?と思うのだが、今になって思えば、携帯電話代を払えるのに給食費を払わない親がでてくるにつれ、教師達は貧乏人に善意であたっていたはずなのに、当の貧乏人に恩を仇で返されるという仕打ちをずっと受けてきているんじゃなかろうか?と思うようになった。今の金持ちは金持ちでアレだが、少なくとも食い詰めてキれることがないので、貧乏人よりはマシなんじゃないかと思ってみたり。いや、実際に貧乏人だったこの社長が大人になって(褒められてのし上がった結果)社会にどんな影響を与えたのかを考えてみれば、色々考えさせられるわな。貧乏人が成り上がってこういう思い上がった発言をするのだとすれば、癪だけど、なりあがりものが嫌われる理由ってモノがあるのかもしれないな。

 職業訓練大学校を卒業するとティアックという高級テープデッキメーカーに入り、その時から35歳で独立するつもりでした。起業に2000万円、今の貨幣価値で2億円ぐらい必要だと考え、基本給とボーナスを使わず残業代で生活すると35歳までかかると計算したんです。朝食はあんパン半分に牛乳といった具合に生活を切り詰め、社員株で買っていたティアック株が上場して2000万円入ったので、28歳で独立しました。

 独立する時、母から「人の倍働けるのか。人と同じようにしか働けへんのやったら、やめた方がええ」と言われました。今も母の教えを守っています。

 うーん、職業訓練大学校とやらを22〜23歳で卒業したらしいが、たかだか5〜6年ほどで、今の貨幣価値にして2億ぐらいのあぶく銭を手に入れるって、うらやましいこと夥しい。別にこの人がそれだけの成果をあげたわけじゃないだろう?。しかも未公開株が上場してとのことだから、インサイダーぎりぎりの所業だし。ティアックに入れた*1のも、ティアックが成長したのも、ティアックが上場して株価が上昇したのも、ほとんどこの人の努力ではなくって、たんなるラッキーの連続(この時代が単に成長の時代であって、そのラッキーな時期に居合わせただけ)だったわけだが。

〈73年に日本電産を設立した。わずか4人での船出だった〉

 独立前、大学の後輩や勤めていた会社の仲間ら約50人が「ついていきます」と言ってくれました。「最低30人は来る」と思っていたのですが、結局は(自分を含め)4人だけ。「応援させてもらう」と言っていた取引業者も「前金持ってこい」です。「必ず見返してやる。見てろよ」と思いました。工場は民家の1階を借りました。

 うーん、気の毒だとも思うし、もしかすると社交辞令を真に受けちゃっただけのかわいそうな人なのかとも思うし、この人の酷薄さは周囲の人たちもわかっていて潰しにかかられてきたのかもしれないとも思うしでなんとも。見通しの甘さは、自分の発言が周囲にどのように受け取られるのか注意して言う人なのかどうかを考えると、なんとも含蓄が深い。

 ところが74年の夏に取引先の換気扇メーカーが倒産しました。この時は(京都財界が作ったベンチャーファンドの草分け)京都エンタープライズ・ディベロップメントから500万円の出資を受けて何とかやり繰りできました。(ファンド社長だった)オムロン創業者の立石一真さんが「これは面白いやないか」と、会って話を聞いてくれたので出資が実現したのです。

〈78年、3度目の取引先の倒産が起こり、最大の危機を迎えた〉

 当時の金で1億円を超える損失が出ました。売上高の約半分を占めていた相手で、これは本当に会社がつぶれると思いました。

 なけなしの金で従業員に1か月分のボーナスを払い、会社をつぶそうと思っていると、家内の父に「京都の九頭竜大社という弁天さんの神主に見てもらったらどうか」と勧められました。行ってみると「あなたの運命は節分に変わる」と言うのです。

 銀行からお金を借りて何とかつないでいた時です。忘れもしない(翌79年の)節分の日の午前2時半。アメリカ駐在員から「IBMの大量注文が決まった」と電話が入りました。8億円の注文です。会社は一気に息を吹き返しました。IBMからの受注が信用となって銀行から融資を受けやすくなり、新工場を建設し、ブワーッと業容が拡大していきました。

 最初の5年で山ほど挫折し、会社経営の原点を学びました。「回るもの、動くもの」を扱う総合駆動技術を持った会社として世界50位に入るまで、引退するつもりはありませんよ。

 なんか開いた口がふさがらないというか。経営者なら取引先の状況を把握していないといけないと思うんだが、というか、社員にスキルを求めるならとうぜん経営者としての責務はきちんと果たさないとダメだと思うんだが、しかも売上高の半分の取引先の財務状況がどうだったか、三度目になってもまだ同じ失敗をし続けたってのもどうだろう?。あまりそういう話は流れてこないが、もしこの人が他人の失敗を許さないような管理職ぶりなら苦笑いを通り越す。
 あまり語られないことではあるが、例えば一からの出発で大企業にしたというストーリーがよくソニーやホンダなどを例に喧しいが、本当に実業だけで大企業にのし上がるのは難しい。ソニーだってホンダだって、飛躍するときに必ず大資本を要するのであり、それはまっとうな商売をやっていては稼げるはずが無いのだ。値段が高ければ売れず、安ければ内部留保はできない。しかし事業拡大のための資金は必要であり、日本を代表する企業になった会社は、たいてい設備投資のための金をポンと出してくれるパトロンがいたと言われる。銀行も企業規模で担保を勘案して金を貸してくれるのであり、着実な経営だけでは大金を出してくれない。堅実な商売を続けていては大企業にはなれない。そこにはコネが必要なのだ。
 そういうことを基本知識として念頭に置いておくと、
>京都財界が作ったベンチャーファンドの草分けから500万円の出資を受けて何とかやり繰りできました。
>家内の父に弁天さんの神主に見てもらったらどうか勧められ、運命は節分に変わると言われ、節分の日の午前2時半。アメリカ駐在員から「IBMの大量注文が決まった」と電話が入りました。
 なんて、もうね。保守的というか、排他的な京都での人脈のおかげで出資も受けられ、閨閥の手引きで桁違いの受注を受けということならば、アホでも成功するだろうと。安倍晋三が無能すら通り越して害悪なのに、なぜ総理大臣にまでなれたのか?を考えたら明らかだろうと。
 こうずっと見通してきてみて、たしかに辛い時期はあったのだろうけど、それすら自分がまいた種かも知れず、結局人に対する思いやりが無く、ぎゅうぎゅう詰めで働き通しでここまで来ました、しかも成功したのは運のせいですってしか読めないんだよな。コネは本当にあったのか無かったのかは分からないんだけど、あったところで絶対に語らないだろう。この人が社員に働けというのは、この人自身の人生を振り返るとそう言ってしまうのも無理はないんだが、「間違った手法で、幸運にも成功してしまった」可能性が高くてなんともやり切れない。
 さて、リンク先のお笑い人生訓について色々喚起させられるものがあったんですが、この人の人生をざっと見通して長くなりすぎたので、とりあえずおくことに。

*1:今の労働市場だと入社はとても無理だと思うんだが。