読了本

 実は数日前にフランス史10講 (岩波新書)を読了していた。まぁフランス史もいろいろあるけど、大まかにわけてフランク王国分裂後の王制→フランス革命→ナポレオン政権→その後の共和国という大雑把なくくりで捉えていたのだが、その認識はかなり間違っていて、実態は複雑であるんだなぁと感じた。フランス革命前までは、どの家がフランス地域を牛耳っていたか?とのくくりでいいんだろうけど、フランス革命の三部会も、自分が中学の時に学習したと思われる、第三身分(ブルジョア)からは農民や、経済力を持たない都市民は排除されているという認識はどうも間違っているらしい。そして、革命後のフランスの政治体制がコロコロ変わっている。
 自分自身はもともと領主と領民の関係性に興味を持っていたので、そこらへんの起源に注目していたんだが、フランス革命後はいわゆる地位の上昇した領民(もちろん取り残される領民)が複雑に入り組んでいくので、訳がわからなくなった。ヨーロッパ社会では階級性が未だに色濃く残るとのことであるが、そもそもフランス革命以前から売官制がはびこっており、そのころの産業革命直前の貨幣経済の浸透による、本来貴族でなかった層が経済力によって貴族になっていく(いくら格式があっても経済力のないもともとの貴族は没落していく)過程で、どうやって正統性云々を今の時代にまで保証しているのかな?という疑問は残る。
 しかし、ローマ時代ぐらいから、まず先行してケルト民族がこの地に追いやられ、その後にゲルマン民族の移動によって、この地にいろんなゲルマン諸族が浸透してきたというのでほぼ間違いないらしい。だから、領民というのは元々部族内の生産担当層と見ていいんだろう。またその地にはローマの殖民もいたわけで、そういうものとの総体が起源とすれば間違いはなさそう。
 しかし定住しても、他部族の侵寇はあり、その地に住むいわゆる領民は、武力を持ち侵入者を追い払う手近な有力者に頼らざる(だって国家権力は侵入者をいち早く追い払ってはくれない)を得ず、そこで領主・領民関係が成立したということらしい。(p28あたり)これが10世紀あたり。なお、治安維持担当の領主、経済活動担当の領民という分業体制という二体制では無く、教会権力も含まれる。で、これから外れるのがユダヤ・異端だったようで、結構フランスというか中世ヨーロッパというのはキリスト教に関する限り、かなり排他的な世界だったらしい。イスラムが税金を払えば基本差別は無かったということを考えるとなかなかにして深いものがある。現在のアフガン・イラク侵攻がキリスト対イスラムの戦争と言われるわけなんだが、寛容なイスラムのほうが排他的なキリスト・ユダヤ教徒によってイジめられるという構造は目を覆うしかない。そして排他的なほうに荷担する日本。
 そう考えてみると、たとえばブルボン朝絶対王政と言われているのとは逆に、むしろ民衆は王や貴族に押さえつけられるだけという一方的な関係ではないということが真相らしい。先ほどのフランス革命だって、第三身分は決して経済力をつけてはいるが特権は与えられていないブルジョアだけなのではなく、都市民や農民も含まれていて、そういう国民?全体がある程度一体化して革命を全国的に引き起こしたというのはなるほどである。
 どうしても自分自身が日本に住んでいるから、日本の基準、しかもそれは特権階級に都合よく改竄された歴史に基づいているだけなのかもしれない基準で判断していたというのを反省せねばなるまい。今も日本史の再考途中ではあるのだが、農村の自治組織である惣の成立が中世、大体鎌倉後期であるという学説ももうちょっと精査してみたい気はする。そもそも6世紀に律令制が完成しというのも、当時近畿地方の一大勢力でしかない皇室およびその周辺貴族層が手前勝手にでっち上げた大宝律令ってものが、すんなりと日本全国(東部日本はまだ夷狄だったようだが)に浸透したのかね?と。そしてその地方ってのはどういう実態だったのかというのがよくわかんないな。
 日本の場合、古代から中央政権の届かない地方ではどんな集落形態だったのか、まぁ人が住んでいたのなら、それなりの集合形態なり、実はばらばらだったのかもという疑問は残るのだが、そうそう中央の押し付けがすんなり受け入れられていたのか?というと、案外地方は地方で勝手にやっていた部分も多いのではないかと思う。本当に全国的な収税システムがおぼろげながらにも作り上げられていくのは実は太閤検地あたりなんではないか?と今の時点では思っているのだがどうだろう?。国司にしたって中央での売官に充分な財を形成できれば、その土地でのやり方に文句は言わなかったというのが古代中世あたりの実相だったりと思ってみたり。で地方でも、自分の土地でなんらかの貢献もしていないのに、やれ国司だといばっている輩に迷惑税でも払って、あとは自分の好き勝手にやらせてもらうってところか。そういう在来の土地の代表もしくは在地化した貴族のなれの果てが武装して武士となり、戦国期には大名に発展していったのかな?という感じかな。で、それが一応政体的に解体されるのが明治の廃藩置県で、生産力の向上による物質が全国に行き渡り、情報伝達機能の向上による宗教以上の規範意識(まさに法*1なんだろうけど)の押し付けなど、より日本人の生活が均一化して一般生活まで統一されてきたというのが現在…というか今まさにその瞬間であるといったところか。
 で、日本人ってのはそういうのに無頓着というか、すごくお人よしなんだよな。この本を読んで、さらに日本という国を振り返ってみると切にそう思う。あちらではいわゆる権力層にしたって民衆との利害関係がけっこう密で、人と人との折り合いをつけてきた歴史があり、振り返って日本を見ると、そもそもそういう歴史がないってのが愕然でもあり大いに納得して現状日本の有様に合点がいくというか。政治的無関心層がなぜ日本に多いのか…というのは、そもそも文句をいわれない程度に各人が勝手にやってきた歴史があって、なかなかに意識され辛いところではあるんだけど、実は今はそういう点で激動期にあるんだとは思う。
 うーん、いろいろ書きたい事はあるんだけど、ひとまず。

*1:この法ってのがまさに曲者で、自民党に利益誘導されるようなご都合主義的な法にどんどん書き換えられていっているんだよな。