ロミオ×ジュリエット 第24話「祈り 〜きみのいる世界〜」

 ははぁ、なるほどなんとなく。
 まぁいつものことだが、とりあえず視聴直後に思い浮かんだことを書きとめるってスタイルなんでご容赦を。というか視聴途中でいろんな切り口が見えてきて、割と冷静に見ていたつもり。実は最終回ラッシュで、キーワードを含む日記めぐりをしていたところ、期せずしてネタばれを目にしてました。曰く、結末として二人とも死ぬが、庭師も死ぬと。知らないで見ていたら、感情が沸騰したりしてたかもしれませんが、見てしまったものはしょうがない。
 ホントに整理がメチャクチャだが、とりあえず、ネオ・ヴェローナはやはり日本のメタファーであるということ。で、結末の二人の絶命なんだが、ジュリエットは賢明な選択をしていたと思う。で、ロミオがやらなくてもいい行動で突っ走ってしまって絶命、でジュリエット後追いという構造を踏襲してました。でもまぁここだけあわせても意味ないんですけどね。ジュリエットは死のくちづけをしてしまっているわけで、ロミオが生きていたとしてもジュリエットが死を免れたとも思わないしな。
 で、今までのロミオとジュリエットの行動なんだが、どうも今になって思うと「人間のおろかさ」をスタッフは描写したかったのかもと思い始めている。キャピュレットは開始早々赤い風なんて義賊をやっていたわけで、ほんの一話前に民衆が実はキャピュレットを支持していたという描写があり、そういう設定ならば別にこの物語をキャピュレット、ネオ・ヴェローナ奪還の道とでも題して、どんどん仲間を増やしながらほとんど苦労することなくモンタギューを追い出すというイケイケなノリにしちゃっていいわけだ。
 それがジュリエットがロミオを好きになってしまったばかりに、グダグダ解放が先伸びになってしまい、自分の命すら危なくなってしまっている。恋なんかにうつつをぬかさず、サクっとモンタギューを倒しさえしてれば、エスカラスに接木をすることなく、ネオ・ヴェローナも空中都市のまゝ、繁栄を謳歌しました…いつかはジュリエットが生贄になったかもしれんが…というわけだ。
 で、ジュリエットが迷走中はモンタギューが悪政を敷きつづけ、自分の失敗を糊塗するために民衆は無駄な苦労を強いられたし、モンタギュー以下の貴族たちも自分の贅沢な生活を謳歌してエスカラスの恵みを貪るだけ。ロミオはともかく、ジュリエットを仮に日本国民と見なしたとしても、やっぱり日本の実情そのものでしょ?。まぁ早いトコヤることヤれや!日本が立ち直れなくなる前にっつーわけだろう。
 で、ロミオがまた輪をかけたバカだよねぇ。せっかくグラディスカ鉱山を抜けて作った村で、畑を再生するところまでやっているのに、水をやっても無駄というとこまでわかっていて、いやそこまでわかっているんなら、あとはエスカラスの恵みが足りないだけってわかりそうなもんなのに、ジュリエット恋しさに破滅を加速させるわけで。でジュリエットを救えないばかりか、あと一歩で本当にネオ・ヴェローナがバラバラになるところをジュリエットに救ってもらうわけだ。いわゆる世の中で一番有害と言われる「働き者の、バカ」の典型例だわな。
 後日譚も結構納得。ふらふらしているように見えながらしっかりやっていたフランシスコは政治的地位が大きいし、正義を貫いてモンタギューに反対しておんだされたペンヴォーリオの父も政治的地位を獲得。キュリオと違って敵の胸を射抜いていたフランシスコのことだから、たぶんモンタギュー派の貴族はきっちり処罰している風。キュリオは市井に落とされて、コンラッドは隠居。しかしコンラッドもジュリエットが大公にならなかったのが心残りなんだろうが、実質キャピュレットの復興は成し遂げた形になっているので不満というほどでもないだろう。アントニオも順当。ティボルトはモンタギューの血筋ということで保護観察っぽいし、ハーマイオニも着ている服からすると貴族から脱落したっぽい。
 物語上の役割として、庭師のオフィーリアが割とごまかされやすいかな。彼女のやっている事はむしろネオ・ヴェローナにとっていいことなんだけど、ロミオを見かけ上善玉にしている都合上、悪役顔にされていたっぽい。彼女が形相を変えるのはだいたいロミオが聞き分けのないことを言ったときだけで、それ以外は冷静で深みのある表情をしていたと思う。
 で、ウィリアムなんだが、これまた微妙。狂言回しという役回りだろうが、ミスリードを誘ってみたり、視聴者を混乱させるには充分の働き。もうちょっと出番が多いかとも思ったんだけど、確かにこのぐらいの露出のほうがストーリーに集中できてよい。最后の「私たちは知らなかった…」は、日本国民の現状を表した言葉なんだろうけど、最后の最后で視聴者にそれを訴えかけるというのは、典型的な様式美ですわな。というか、ヲマエ最初からわかっててそういう態度を今とってるんだろ!みたいな。
 っつーわけで、最終回を見終わったこの瞬間では、なんか今までのもやもやが晴れたような気分です。そうそう、ホント初回と最終回以外はストレスが溜まる溜まる。プロデューサーの名前なんて久しぶりにチェックしたんだけど、岡崎剛之・上木則安・沖浦泰斗って初めて聞いた感じです。電通の人はともかくとして、それでもこの三人はあんまりおちゃらけた作品ではなく、わりと社会派的要素が含まれていそうな作品に関わっているっぽい。シリーズ構成が吉田玲子で、なんでこうイライラする話にするかなぁ?とずっと思っていたんですが、お人が悪い悪い。
 で、絵も音楽もずば抜けてハイレヴェル、で話がこんなに人をくったものってのがどうなんかね?。ずっと「吉田玲子が何の考えもなくこんなグダグダストーリーにするはずない」って思いつづけて、ようやっと最后で報われたってのがね。そしてその最后だってこうだー!って大どんでん返しにするわけでもなくって、気がついたら収まるトコに収まってポカーンな感じ。で、悲恋モノとしても見れちゃうわけで、ここがまた素直に感心できないんですよ。話の途中だって別にわかるひとには伝わる形にはしていないような感じがして、私だってずっと「なんでこんなエピソードの連鎖で視聴者を振り回すんだろう?」と思っていたぐらいで。もしかするとあからさまな現権力者批判に繋がらないようにしていたのかもしんないし。
 まぁ以上のことも私の思い込みに過ぎないかもしれないし、そこらへん各人が受け取ったものがそれぞれの真実ってことで。別に視聴者に不親切な作品はダメだというつもりもないけど、じゃぁ最終回で辻褄が合ったからといってハイそうですかともいかないわけで。やっぱ各話でもなんか納得して得るものが欲しいってのはわがまゝなんスかね?。なかったとも言わないけど。デウス・エクス・マキナほどの不条理でも無かったケドどうなんだろう?。確かにある種の奇を衒った演劇風と見えなくもないが。風呂敷を拡げすぎて、最後話をまとめるのに精一杯という感じではなかったから、良くできているんだとは思う。おもろ。