ロミオ×ジュリエット 第21話「掟〜女神の抱擁〜」

 町を焼くなと止めてくれる人が、ヒトラーにすら居たわけだが。
 うーん、構造としても良くわからん。理解できないのをすべて作品の不出来にするのもみっともない話で、果たしてこれが物語の新しい形であって、私がわかんないだけなんだろうか?。
 まず、いきなりジュリエットが何の伏線も無く生贄となるのがよくわからん。ネオ・ヴェローナが滅びるのは人間の強欲であって、たとえば、モンタギューが仮に悪政を敷かなかったらエスカラスの恵みも枯れず、ジュリエットが犠牲になることも無い。ましてやモンタギューがいくら権力があるといっても、彼につき従う人がいなければ影響力を行使することも出来ないわけで、彼に付き従うことで地位を保全され、彼の我儘の成すがまゝにしていた貴族たちが彼を蹴落とさなかったがゆえに行き着くところまで行った訳で。人間の強欲を責めるのなら、ジュリエットが犠牲になる前にいくらでも債務がある人間がいるだろうと思うのだが。
 とはいっても現代の日本のように自民党が国民を無視して好き勝手やって日本が衰退したとして、別に自民党が責任を感じて元通りにするなり謝罪をしてくれるわけでもなく、結局何の罪も無い、むしろ自民党に掠め取られてへとへとになった国民がもっと犠牲になって日本を建て直すしかないってことを言いたいというのであれば、むしろ鬼気迫るものがあるとは言えるんだが。
 現在の地球温暖化というものが、実は数万年レベルの長い目で見た時に、たまたま気温上昇期にあたるとか、ちょっとしたゆれがこの数十年単位で起こっているという可能性もあって、本当にそうだともいえないんだが、いまや人間の活動が自然環境気候すら変えてしまう時代にあって、大地が衰えるだの、人間の欲を抜きにした天変地異だのが原因でのネオ・ヴェローナ衰退というのは考えにくい。繰り返しになるが、やはり人間の強欲というのが衰退させたと見るべきだろうし、当然スタッフもそういう主張なんだろう。ただ、エスカラスの枯れる原因として、先ほど述べたモンタギュー個人の強欲なり彼に付き従った貴族の無能ぶりなり以外にも、彼の坮頭を許してしまう国民風土なり、独裁者に依存して国全体がダメになってしまっているという描写でもないんだよな。いくらダメ人間がいたとしても、やはり国なり共同体なり一定の人間がある地域を共有して生きている限り、人間自体が人間集団をつくっていくものだという、人間を支えるのもやはり人間という観点があまり感じられなくて、あっちふらふら〜、こっちふらふら〜という感じがしてどうにもぶれているような気がしないでもない。もちろん人間である限り完璧というのもありえないわけだが、主人公格のキャラクター達があまりにも目の前に降ってきた事柄に、場当たり的対応をしてなおかつ事態は周囲が見ててもどかしくなるほど好転しない。むしろ補佐役級のキャラクター達の行動は頭が固いんだけどブレがなくって、逆に清々しさすら感じる。
 今の段階では…好き勝手やってきたが、ようやく決心が固まりつつあるジュリエットが中途半端に退場しかけで、裏切られつつも仕方が無くついていく側近、人間的には成長してきたが今一思い切りが足りないロミオ、錯乱しているモンタギュー、流されるまゝの大衆、これまた好き勝手焚き付けるウィリアムなど、どうにも先が思いやられるという印象は拭えない。美しい場面も描くが、ダメなのも含めてそれもまた人間なのだという、人間賛歌的な部分は感じられないし、かといってダメなものをダメなまゝ描く切れ込みの深いものでもない中途半端さを感じる。
 だが、ツッコみどころは多くても、あれだけロミオの成長を美しく盛り上げてきたわけで、そこを単なる場つなぎではなく少し突き落としてきたからにはスタッフには何らかの考えがあるのだと思う。この刹那的でどうしようもない現代日本を描くもの…と考えたら、それはそれでうまく表現した皮肉的な作品といってもいいだろうし。ジュリエットも生贄フラグが立ったといっても確定ではないし、結論をそう急ぐことも無いだろう。