ロミオ×ジュリエット 第22話「呪縛〜荒ぶる激情〜」

 あぁ、極めて日本的な手の汚し方というか。
 視聴直後で整理もせず思いつきを書くのだが、なんつーか、キャピュレット家自身がモンタギュー不幸の原因になっているとか、ティボルトやロミオがモンタギューの血を受け継いでいるとか、どうにもモンタギュー殺戮に対して何らかの抵抗要因を持っているというか持たされているのがどうもね。キャピュレットの血がネオ・ヴェローナを救うとか、実際にモンタギューを殺すのは血のつながりのない、自分自身の手で本当の父親を既に殺してしまっているという業績のあるマキューシオだったりと、もう血統バンザイの物語だわな。Wikiの貴種流離譚の問題点、

 しかし、「生まれの良い人間が結局すぐれている。」といった価値観が根底にあるのは否定できず、子供の教育上、問題視される場合もある。

 そのものといった感じ。物語の最初からのジュリエットがそうだし、グラディスカ鉱山に流されてからのロミオもそう。ティボルト自身がさっさと止めを刺さず、ジュリエットを救う方法を聞き出そうとし、結局はジュリエットに花道を譲るってのもなぁ。
 とにかく間違いを犯した人間をどのように処理するのか、次なる支配者は自分の手を汚すのを嫌い、でも前任者殺害という結果は欲しくて、下っ端にやらせるという構図はいただけない。WWⅡで、ドイツ第三帝国は責任者が自殺することで責任を取ったし、イタリアは人民の手で処刑したし、日本は責任者が自分で責任を取らず、かといって日本人の手で責任をとらせることもせず、占領軍に手を汚させて、しかも戦争責任者はアメリカに買収されてそのまゝ権力者の座に居続けるなど、どうも日本には国際的に見て全く当事者能力が無い無責任な人間が統治していると見られているっぽい。ドイツ・イタリアが周辺諸国、つまりヨーロッパ諸国の一員として付き合っているのに対し、日本はアジア諸国の中で、ドイツやイタリアのような位置を保てているかといえば、全然違う。周辺諸国との友好関係の結果からしてそうなんで、ここで今ひとつこのアニメスタッフが「責任を取ることの意味」から逃げているというのがどうにも気にかゝった。
 あとは、やはり貴種流離譚の項のもう一つの問題、どうもネオ・ヴェローナを救うのはキャピュレットの血筋みたいに、都市を救うなり創造するなり、統治するなりの能力が結局市民にはないのかよ!という点が気にかゝる。もちろん先ほどのように自分の周辺にだけしか意識が回らず、全体からものを見ることができる人間は(小泉劇場に踊らされた日本国民があまりにも多かったことから推定されるように)少ないとは思うんだが、それにしたって馬鹿にしすぎじゃねぇか?という気はする。
 グラディスカ鉱山の崩落からの描写も、市民が力を合わせて家族を呼べるような村を作る、つまり国家建設を見せておきながら、あれだって結局は「ロミオ様のお導きの結果」という描写になっており、(ジョバンニも結局不安をぶつけて導かれる立場に置かれていたし)どうにも情けなくて切なくなってしまう。人間はやはりその立場になってこそ理解もできるし力の揮いようもあるわけで、特権階級にいるからこそいない人間より経験も把握もできるってのはあるとは思う。特に悪政を倒してゼロから積み上げていかなくてはならない場合、そりゃ経験がある人間がいたほうがいないよりも試行錯誤する時間を節約して、より早く望ましい国家建設が可能になるわけ*1だが、え〜、やっぱりもともとの金持ちがやっぱり有利なんだ〜という結論は萎えるというしかない。
 こういう構造は、「お上がなんとかしてくれる」という依存体質をむしろ強化してしまうわけで、どうにもやりきれない。もちろん日本の歴史をひもとくと、確かにお上依存体質がずっと続いている*2わけで、いまさら「いまこそ国民の一人一人が他人任せにせずすべての問題を意識して国政を進めていこう」と主張したってついてくる人はごくごくわずかだろう。現状の日本だと、制度変更のドサクサにちゃっかり国富をちょろまかして自分の懐に入れようとする人間が山ほどいるわけで、というか今の自民党自民党にお近づきになれた高級官僚の皆様方はそういう人ばかりなわけで、困るというか。まぁ日本も政治的には危急のときで、国民全体の意識向上なんてやってる暇は確かに無いんだが。庶民に特権階級になれるという可能性を示して、今の権力者にプラスして国を喰いものにする人間が激増する可能性もあってなぁ。
 まぁそういうわけで、仕方が無いとは思うんだが、ジュリエット側の責任を取ることについての覚悟のなさと、物語全体に流れる血筋主義がどうにも鼻につきます。日本の状況はアニメスタッフのせいでも無くって、かといって「国民の一人一人が意識して〜」なんて物語を作ったって、そっぽを向かれる可能性が高いしな。
 今回について言えば、ジュリエットが決起して城に入り込んでいくまでのシーンがやたら印象的で、崇高さを感じた。ジュリエットが甲冑を纏うシーンなんて何枚使っているんだろう?と思うぐらい。マントの翻りにこだわるぐらいなんだから、旗のシーンはCGじゃなかったらよかったのにと悔やまれる。いや、CGでもそれっぽかったらいいんですけどね。
 まだ可能性は残されていると思うんだが、やっぱりジュリエットが犠牲になってポン!なのか、それともジュリエットを救う冴えたやり方が示されるのか。自分の中ではまぁまぁ盛り上がっては来ているんですよね。

*1:デスマプログラマーに、さぁ国政について考えてくださいって言ったって、そりゃ無理な話だ。

*2:とはいっても、惣村内の自治なり、武士集団のいわば天皇集権からの独立性なんて歴史もあるわけだが