で、やはり都市と田舎の対立になるんだろうか?

 では老人の面倒を見るために、都市部が老人を受け入れて地方の過疎化をさらに促進すべきなのか?。というとそれは違うと思う。では家族が都市部での今の職をあきらめて田舎に引っ込むべきか?といっても、そもそも田舎には産業がないというのでムリという話になろうかと思う。いまさらではあるのだが、やはり田中角栄日本列島改造論が挫折したのが悔やまれる。結局アレが悲劇だったのは、志半ばにて計画が途中で立ち消えになり、都市がイイトコ取りをした段階でタイミングよく収束したことなんだと思う。田中角栄の真意を図りかねるし、自民党でもあるので正直あんまり持ち上げたくない。ただ田中角栄自身田舎の貧しい生活を身に沁みてわかっており、金権政治といわれようと日本の田舎を切り捨てるような構想は持っていなかったと思うのだ。地元新潟への利益誘導が非難されることが多いが、新潟は九州北部に次ぐ旧満洲沿海州との貿易拠点となる可能性を秘めており、単なる利益誘導*1だけではなかったかもしれない。日中国交回復の実績から言っても国際協調を重んじた政治が念頭にあった気がしないでもない。田中はそういった方向に危機を感じた合衆国の差し金でロッキード事件という刺され方をしたのだという陰謀論もあるくらいだ。当時は日本も合衆国も中国との国交回復にしのぎを削っており、万が一日本と中国に貿易圏を先に作られてしまうと、合衆国の入り込む余地がなくなって、日本という経済圏を失うどころか最悪在日米軍基地の撤退(思い出して欲しいのは当時はガチガチの冷戦構造だったことだ)にまで発展する可能性があったのだ。さすがに虫が良すぎるとは思うが、あのときの田中首相の立ち回りによっては、現在のアメリカの属国のような立場なんて解消され、日本の公式な再軍備が10年単位で早まっていた可能性すらある。もちろん靖国問題なんて解決済みだ。台湾あたりは中国領になっている可能性も少なくないが。まぁ妄想なのでここらへんでおいとくとして。とにかくバランスまでは私には判断できないが、物資の集散地(ハブ)を全国に散在させて、道路網を整備し、資本が都市に偏在している構造を何とか緩和し、日本全体が発展する構想を彼は練っていたと思うのだ。
 だから、道路財源見直し、族議員ら猛反発には日本全体の発展を願う政治家の信念が込められていると考えられないこともないのだ。見直しの経緯そのものが話として問題外なのだが、道路網の整備は地域間格差是正の重責が未だに課せられていて、そこらへんの感覚が全然わかっていない二世三世議員の声高な主張が自民党をおかしくしているわけだ。都市部は経済発展の初期には稼ぎ頭なので、田舎としては自分とこの整備をあとまわしにしても、資本・労働を都市に優先的に譲ってふるさとが壊れていくのを我慢して見守るしかなかったわけだ。そして都市が十分豊かになり、日本がようやく貧困から脱したところで田中が刺され、ドル箱を握った都市部がそれを離さないまゝ今まで来たわけだ。都市部がそれを維持するために選挙制度(とうか法律)を変えてまで利権を手放さず、人口が多いことを理由に一票の格差論を展開するわけだ。ほんとうに自分の一票を大切に思うのなら田舎に移住して投票すればいいのに、安逸な場所でぬくぬくとして人を非難するばかり。まぁ田舎のムラ社会構造がいやでというのもわからないでもないが、個人の主張としては破綻している。
 またまた話がズれたが、要するに、地域間格差がなくなってしまえば、つまり場所による不便さというのがなければ人は分散して生活することが可能であり、田舎に産業がないとか通勤が不便だから田舎で生活をするのがダメなんてことがなくなるわけで、先ほどの老人介護の問題、介護というよりは全年齢域でのシームレスな交流でいろいろな問題が解決するところもあったりするんではなかろうか?。日本は資源がない国なので国際的なことも考えなければならないが、国内でのモノ・サーヴィスの流れを見たところで、必ず東京などの大都市が起点で、金の流れは必ず大都市が終点であるとすると、いつまで経っても都市が田舎を収奪する構造が止まらないというか、強化されるだけで地域間格差がますます拡大する。というか田舎からの収奪を終えたら、大都市内部でだけ資本とモノ・サーヴィスを循環させるつもりなんだろうか?。自民党は今や都市型政党となっており、こういうことを主張したところで日本全体の発展を考えるとはとても思えない。田中がアメリカに刺されたとして、アメリカの影におびえてポチと成り下がり、金の成る都市を拠点に地方を痛めつける、アメリカにいじめられるから地方をいじめるというダメな政党に成り下がっている気がしないでもない。二世三世*2議員はそういう経緯を知らずにボンボンに育ち、自分とこの利権を維持するために弱いものいじめをするのに躊躇がないが、年嵩の議員はそういう構造をわかっていて涙ながらに抵抗しているのかもしれない。なんつーか与党対野党っていう構造じゃなくて、まさに「日本を築きあげてきた叩き上げ層」対「豊かになった日本しか知らずに利権構造を維持したい若手」という構造なんじゃないかという気がしてきた。この前の選挙だって、自民党よりもっと過激な提案を民主党がしてくるなど、票のためなら弱いものをこれ見よがしに叩いてみせる育ちの悪さを見せてくれましたし。郵政選挙のときでも、本当に自分の利権のことを考えるのなら小泉に尻尾を振っときゃいいのに、有利なポジションを投げ捨てるような行動をとったというのは、やっぱり古株議員にはある程度の日本を憂える心があったのだと思いたい。
 まぁ都市も結局おんなじなんだろうな。都市で生まれ都市の便利さだけを見て育ったら、田舎の停滞気味は信じられないだろう。その都市の便利さがほんの数十年前*3の田舎の犠牲の元に成り立っていることにも考えが及ばないだろう。二つをつないだ風船もしくはシャボン玉のようになってしまうのだとは思うが、やっぱり田中角栄日本列島改造論がそこそこ実行に移されていれば、実はバブル期ぐらいには少ないなりにも人やモノの循環構造が日本全国に出来ていたと思うのだ。それが日本戦後50年の計ではなかったのかと。以前にも述べたが、現在東京を朝出発してその日のうちにつかない日本の地はほぼなくなっているので、あとは道路でいうところの細部の作りこみ*4をすりゃ物資の流通的なハンデはなくなるのだが。都市もおのれの見苦しさを今一反省して資本の抱え込みなどせず、地方も偏屈な旧弊なんて改めて、お互い日本のバランスの良い発展に向かって協力していければいいのだが。

*1:想像でものを言いたくないが、地元ではそういう田中の構想はわかっていなかったかもしれない。

*2:二世議員はまだ親の苦労をそばで見ていた可能性がある。すべてをチェックしたわけではないが、三世議員はどうも根拠のないこぶしを振り上げる傾向があるように思われる

*3:といっても5〜60年ぐらい経ってしまっているのではあるが

*4:実はこれが結構大変なんだが