タイドライン・ブルー 第11話「メタセコイア海戦」

 粗い!粗すぎる。云わんとすることはわかるんですけど、肉が全く無い骨組みだけを見せられている感じです。少しでも肉がついていればそれは奥義を極めた武道にもなりうるのですが、演舞のみの武道を見せられている感じ。

  1. 水没した資源をサルベージできる→父さんは決して資源が有効に利用されると考えていたかどうかはわからない→アオイもグールドもその資源をめぐって争いが起きると考えている→それに対してキールティーンも有効な反論を行っていない。
  2. みんなが豊かになれば喧嘩しなくて済む→合衆国と思われる国がありましたが、現在の世界情勢から決してそのようなことが言えるわけではない。資源の無い国が追い詰められて戦争を仕掛けることもあるし、資源のある国が独占をたくらんで戦争を仕掛けることもあるという、中東東部の情勢をスタッフはどういう風にとらえているのだろう?。

 ハンマーオブエデンの大雑把な情勢描写、各国が対立するに至った論点、各国のポジション、グールドに対する世論の支持度合い、他にも挙げようとすればキリが無いのですが、すべてが不十分。
 ただ、

  1. 運用方法に説得性をもたさなければなりませんが、考え方によって正の方向にも負の方向にも転用できる“財”の提示とその運用においての“発想の転換”のおもしろさをめざしたのでは。
  2. 実はスタッフの視聴者(および世界も含む世論)に対する、“基本への回帰”のアピール。もしくはキレイ事にたいする皮肉は無いか?。

 と話の骨格だけをとりだしてみると、構成上はあまり破綻がありません。それ以外の問題点にしても尺が足りないから説得性を持たせられないだけであって、描写自体がされていればシリーズとして優れたものにはなったはず。と考えてみると、スターシップ・オペレーターズのように本当は2クールやるつもりで話もそれ用に考えていたのだけれど、金も枠も確保できずに企画をスタートせざるを得なかった可能性は大いにありえます。
 しかし登場人物の会話の内容に立ち入らず、あくまで何かのメタだと割り切って視聴するとかなりのめり込むことができました。視聴者の感情の転がし方はうまいと感じます。グールド側の登場人物の秘めた激情にはとても共感できます。グールドの包容力、ジョゼの献身ぶりなど魅力たっぷりです。ジョゼは以前紹介した監督談話には女でありながら男の部分を強調したとありましたが、なんのなんの、挙措言動が男っぽいだけでなかなか女らしいじゃないですか。
 それに比べてアオイ側はなんともヘタレな描写です。しかしこれはどうやらスタッフが意図してやっているとしか思えません。アオイ側がキレイ事で非難のしようもありませんが、実際に事態を動かすのはグールドのような意志が必要だとかそんな感じの。もっと下世話に言えば、描写としてアオイ側を嘲笑しているようにも思えます。だからもし結論をアオイ側というよりはキール側に持ってくるのであっても、原作側の主張は実は逆ということが考えられます。
 さて、これから最終話を見てみます。一挙に2話見ずに踊り場を設けた成果はあるか?。