第13話「モーメント・オブ・トゥルース」その2

 4月1日でのエントリーにて、一矢報いる形で終わることが出来たと述べました。乗組員たちが困難をどのように乗り切るかという主題についてちょっと考えてみたいと思います。
 そもそもこの作品は中高生男子がターゲットと考察したことがありました。主人公たちが士官学校の卒業間近な候補生であるのですが、現代の大学生が学校を卒業したとしても就職にありつくのが難しいという状況とオーバーラップさせていると考えられます。中高生に向けてなにを訴えたいのか。
 候補生たちは王国のキビ攻撃からキビの降伏に至って有望な就職先を失ってしまうわけです。それでシメイの謀略にのる形でスターシップ・チャンネルと契約し王国と戦うことになります。アマテラスは途中苦労することはあるものの、戦闘艦としては非常に優秀な成績で王国を圧倒します。最後には地球連合に沈められてしまいますが、最後の戦いで連合の下心を暴いて手を引かせることに成功します。星域を支配しようとする勢力がいなくなって平和が訪れたという描写によって、たぶんキビの再独立が成立し、候補生たちは正式に任官したのだと思います。振り返ってみると、逆境に置かれた乗組員たちが努力して何かを成し遂げたという風に見えます。表面上は。
 私が傑作としてリファレンスに挙げる作品に“カレイドスター”があります。ちょっとこれのストーリーについて流してみます。主人公の“苗木野そら”は単身カレイドステージのスターになるために渡米します。最初は周囲の不理解もあるのですが、否定されても食い下がって(挫折することもありますが)乗り越えていきます。ステージに上がれたら困難な技をマスターするために努力し、技をマスターしたら共演者とうまく演技できるよう努力し、という風に徐々にステップアップしていきます。次の課題を自分で設定し、試行錯誤や工夫を自分で行ってさらなる高みを目指していきます。
 振り返ってスターシップ・オペレーターズの乗組員たちを見てみると、実は“そら”のように主体的に動く姿がほとんど見られません。アマテラスに残って王国に戦争を仕掛けるのを決めたのもシメイの煽動でした。煽動の実行部隊であるキスカやリオにしても明確なビジョンを持っていないという描写がなされます。キスカにおいては始終あいまいな指示しか出来ず、リオに至ってはシュウでの軟禁で心が折れてしまいます。艦長や報道官のような見てくれの良い権力は持ちたいが、実力も覚悟も全然足りないわけです。サンリやアレイは異性絡みだし、他の乗組員に至ってはノリだけで戦争に参加しているわけです。セイも良くわかりません。アマテラスを支援できるほどの資本を持っていながら彼女の動機が伝わってこない。ただ一人、シノンがまとものように見えます。他の乗組員が「戦闘には勝ちたいが、どのように戦っていいかわからない。誰かからの指示に従って自分の能力を発揮するだけでよい。」と考えているのに対して、彼女だけは戦闘に勝利するために必要な方策を自分の頭で考えています。ただ、シノンにしたってアマテラスに残って王国と戦闘することにより何を実現したいのか見えてきません。
 個人個人の能力は高いのに、それらは宙に浮いているだけであって、勝つために必要な分析や具体的な手順はシノンが仕方がなく考えている形になっています。だからシメイやスパイクス、間宮元総理にいいように利用されてしまっている。先ほどの“そら”の前向きな姿勢とは正反対です。残酷なようですが、危機を乗り越える物語ではありますが、乗組員たちは指示待ち人間が多く、目的もないまま右往左往している姿が描かれているだけです。実は中高生に向けたと最初に書きましたが、このような情景は世代を問わず現代社会全体に言えることなのだと思います。ただ、ターゲットに向けては「今こんな状態だけど、これでいいのかい?」という問いかけのように思えてしまうのです。