クラマー#12

 フツーにまだまだ俺たちの戦いはこれからだEND。ラストはあんまり続編がなさそうな感じの〆で、女子だってサッカーを楽しみたいという主張で、さすがにそれが主張というよりは、サッカーを愛する(セリフとは裏腹におそらく男女問わず)人たちに向けての応援歌的なものだろうと思うが、まぁよくわからん。これで続編がないのは何かヘンな気はするが、別に続きが気になる人は原作をどうぞだろうし、そのへんはまぁ。
 うーん、終わってみたらこれは微妙な感じ。君嘘の人が原作だから大外しはしないだろうと思っていたのだが、正直大きくはなくても期待したほどのもんではなかったかなという。サッカーはサッカーでも女子サッカーのようなマイナースポーツだと様相は違ってくると思うのだが、それ以外の人気スポーツでは中学の段階から生徒にスカウトが目を光らせてるわけで、ではスカウトされた生徒はどのような決断をするのかというと、そりゃ強豪校に行くという選択が多いのだとは思うのだが、そこで強豪校に行ってしまうと綺羅星のような新入生の中に埋没する可能性もあって、敢えて格下の学校に行く生徒もいるにはいるわけで、そういう意味では天才級の才能を持つメインキャラが弱小チームで腕を奮うというのはあり得ない話ではないのだけども、でもそうだとすると、お前ら努力も気概も足らなくね?という印象が強い。もちろん前回述べた通り、メインキャラは現実には天才級の才能を持っていない数多のサッカー部員が自分を仮託する存在として三タイプの中から選べるように用意されたものなのであるから、リアリティ云々を言ってしまうのも的外れのような気はするが。
 なんか勝ちたいとキャラに言わせてる割には、中学の時、女子サッカー部がないというだけで人一倍努力もしたし活躍の機会にも恵まれず臥薪嘗胆してた恩田が、高校に入学してねんがんのじょしさっかーぶに入ることができて活躍できるというそのときに、まじめに練習しない様を他校の偵察部隊に「地蔵」と称されていたというのが理解に苦しむし、その彼女がやたら負けて悔しいだとか、強豪校の他校生徒にやたらイキってるのは自分にしてみれば滑稽でしかないのだが、これでマイナースポーツで頑張ってる君たちへのガンバレという応援歌といわれましても…という。同じメジャースポーツでも女子部門であるというだけで途端にマイナーな立ち位置になってしまうものとしてはハチナイがあるが、あのシナリオ、もうあざといというほど浪花節であるにもかかわらず、今回の「裾野を広げる」っていう点では、運痴な猫耳帽の女の子が、試合のラストでたった一球のフライをとれたというあのシーンのほうがよっぽど自分には一般人に対するハードルを下げているように思ってしまうのだが、まぁねぇ。
 評価できる点としては、こう、スーパープレイのアニメーションが見られたことかな。でもあれを高校の最終学年ではなく、中学を卒業したての新入生がやるんだよな。まぁそういうとこやぞというしかない。ただ、これ、原作漫画を読んだら印象が違うのかもなぁ。別にキャラクターは年端も行かない若者で、しかも精神的に不安定な思春期なのだから、別にバカであっても甘えがあっても不思議はないので、今期は口だけ番長の成長し始めの段階なので、そういうキャラにお前らは一人前ではないと言ったところで意味はない。未熟な年齢層を未熟と描くからこそ、上記の通り、未熟な若者の共感も得られるってわけで、そういった観点でいえば、大河ドラマのごく初期だけ見せられて評価しても意味はないということになる。

モリアニ#24

 ウィリアムは社会的には死んだが、という話。いやぁ、別にイギリスの正史に、義憤にかられた善人が自分が犠牲になることによって貴族の鼻持ちのならなさをちょっとでも緩和させたってものがあるわけではないので、歴史を壊さず今まで積み上げてきたフィクションを収束させましょうというのはわかるんだけども、やっぱ個人的にはこりゃアカンでしょという感じ。モリアーティーが放火したのを貴族と庶民が協力して消火するシチュエーションを作り、その真犯人であるモリアーティーはシャーロックに退治されて今までのことも含めて事件の責任を取るって筋立てだが、今までの貴族のありかたからすると、魂に訴えかけられる演説を聞いたところで捨て置くでしょとしか思わない。せめて今までで、貴族たちが自分たちのおぞましい振る舞いを目にする機会があって、自問自答してこれではいけないという機運が高まっているとか、庶民の攻撃的な態度を見て、自分たちが我が物顔にふるまっていたら革命が起きて自分の身が危ないと考えていたとか、そういうものがあったのなら、今回の門を隔ててのかけあいはただのきっかけでしたってなもんで理解もできるが、もう最初っから最後まで一貫して貴族と庶民の関係性は変わってないワケで、あれで認識が変わるとは到底思えん。しかも、作品の舞台はイギリスだけど、こんなの本場イギリスのシャーロキアンに見せたら噴飯モノであって、で、そういうのを目指してるわけでもなくって、結局日本のことを言ってるワケでしょ。なら今回の仕立てはまさに劇場型なのであって、仮に今回この瞬間は心が動いたとしても、時間が経ってしまえば頭からすっぽり抜け落ちる類のもの。
 まぁそんなこんなで、あんまりドラマとして視聴してもなんなんこれ?みたいな感じなのではあるが、ただ、この滑稽さはワザとやってるのかもとは思う。イギリスといえば、シェークスピアのように大衆演劇の本場なのでもあって、あの戯曲だって別にリアリティ重視というよりは、諧謔や象徴といった性質が強い。なので、この結末も、そんな茶番に視聴者がそもそも騙されるはずがないという前提の下で敢えて茶番を演じてみせてるってこともありうる。いやだって、日本人でも自己犠牲になって訴えかけても耳を傾ける人は極小でしょ、そして今回のロンドン塔のシーンも、あれだけ自民盗の悪政に日本人の誰もが不満を持っていても、劇場型政治で例えば郵政民営化選挙であれだけ日本人は騙されて自民盗に投票しちゃったでしょ、というアイロニーになっているといえばいえる。なので、あれで感動できるおこちゃまはおこちゃまで別にそれでいいし、あんなのは現実には茶番で事態を変える力などないとわかってる層にはそうだとわかる作りになっているといえばそうなので、そのへんまぁあまり力入れてツッコむのも野暮といえばそう。
 しかしまぁ、憂国という単語を冠にしていながら、結末は別に自分たちの計画がうまくいかないから断念したという風にも見えないし、今回のように機が熟したから自分は悪人という汚名を着るけれどもここでケリをつける必要があるとも見えなくって、結局お前ら途中で嫌になったんだろメンタルよわとしか見えなかったのが残念。せっかく一つ一つの事件の仕込みや解決に至るまでの流れは面白かったのに、構成として生かしきれなかったねという評価。