ゲキドル#4

 主人公が過去の悲劇を思い出してドール相手に一人の世界に沈んでいく話。うーん、なんか重っ苦しい話だな。都市消失というアクシデントはおそらく阪神大震災だとかフクイチメルトダウンあたりの自然災害、あーフクイチのほうは人災だったか…を想起させる。主人公はそれで身内を失った心の傷が長い間癒えてなかったのだけども、演劇を目にしてなにがしらの希望を得たらしい。事故当時の主人公が、癇癪を起さずに一緒に出掛けていれば自分も一緒に死んでいたかもしれないのに、自分のせいで身内を死なせてしまったのではと責める様子あたり、また、主人公が演劇にエンパワメントされるというのも、被災者がボランティアに助けられて、いざほかの地域が災害に遭うと自分がボランティアとして恩返しをしに行くという構図あたりが、まぁそんな感じかなといったところ。構図は実際の震災から借りているにしろ、現実に起こった被災の色付けを嫌って都市消失とかでっちあげているんだろう。
 現実的に考えて、自分の受けた精神的障害から抜け出すためにアイドルを目指すというスタイルはちょっとありえないんじゃね?という気はする。前に述べた、昔の演劇界の在り方のように、自己表現のために首都圏に出て劇団に入りはしたが、劇団自体が社会運動の巣窟となっており、自分も社会の不条理に目覚めて単に表現手段としての演劇ではなく、社会との関わりを見据えたうえで演技者としてのアイデンティティを確立していくのとも違う。かといって、現代のように売れること、ちやほやされることなどのように、なんらかの欲望の実現手段として芸能界を目指しはしたが、活動を続けていくうちに観客や業界の欲望の激流に触れてあらためて資本主義と向き合って社会や仕事との関わりあい方を獲得していくという現代のアイドルの在り方とも違う。いちおう舞台は芸能界ではあるんだけど、アイドルの実情を描いているんじゃなくて現代人の精神性について述べているんじゃないかという印象を受けた。生き馬の目を抜く芸能界でアリスインシアターのようなアジールが存在していけるわけがないし、かといって主人公が新しい一歩を踏み出せるのはアリスインシアターがアジールの役割を果たしているからであって、まぁ今のうちからそうだというつもりもないが、この作品はアイドルを描いてるんじゃなくて、アイドルが演劇として劇的に一般人の苦悩を演じて見せてるって感じはする。前回あたりから違和感を持ってはいるんだけど、今ドキの声優、トレーニングでいくらでも演技力は短期に仕上げられるのであって、この作品だと演技としての自然さが全然ないというか、まるで作中のキャラがこの作品のキャラをたどたどしく演技しているように、声優が素人っぽく演技をしているという、二重三重に倒錯したメタ構造になっているように思えてならない。本当にキャラを現実の人間のように描写したいのだったら、いくらでも演技力のある声優や俳優を使えばよいだけの話。カットの使いまわしを多用してはいるけど、作画コストはかなり高いので、金の使い方としては、リソースを絵ではなく声優に割いても構わないわけで、でもわざわざベテランを起用せずに若手を敢えて使ってるからには、素人っぽい演技は自覚的にやってると考えるしかない。
 まぁエピソードを眺めて外形的に得られるものはあくまで考える素材でしかなくて、とことん行間を読ませる作りにはなってるんだろうなという気はする。