メルヘン・メドヘン 第6話

 ようやくOP映像が仕上がる。やはり第10話で中断ということを考えるとうーんといったところ。
 なんか期待通りに楽しめてしまった。ホント、このクライマックス部分で他の作品と同様のフォーマットだったらさすがにこの作品を取り上げないだろうなという。個人的にツボだったのはやはりキモの部分で、物語を新しく作ることの是非。これは主人公の都合の良いように物語を改変することは、それこそ文字通りのご都合主義と考えることもできるのだが、そもそも物語は変化するものであるというのは柳田國男も言っている。彼は元は同じと思われる物語を各地方で収集し、比較したのであるが、物語は地方によって変化するということを観察したというだけの話ではある。やはり口伝での伝承が主なのではあるが、そこでやはり住民の望むような形で変化したのではないかと言っており、どうもそこに特定の地域性だとか方向性はあまり見出してはいなかったようだ。物語はそれを通じて伝えたいことがあったりするわけで、それが地域の掟だったりしてそれはそれぞれ地域によって違っている。そしてやはり今回の話のように、別にそういう要請がなくても住人がそうであってほしい展開や結末を柔軟に取り入れる傾向があるということだった。そして物語が地域によって差があるというのは日本特有のことではなく、例えば〜伝説だとか〜伝承だとかという形で世界各地で骨格の部分が伝わり、ローカライズされている例はいっぱいある。
 但し物語とは元祖というものがあって、それだけが正しいというものではないといっても、それこそ戦後日本で行われた数々の民話の改変がいくら物語は変化するものであるとはいえ、これはどーなの?という例があって、ちょっとした批判対象にもなっている。さるかに合戦の結末がみんな仲良くだったりするわけだ。とかく子供に残酷な表現を見せるわけにはいかないということで、自分が小学生の頃に聞いた話とは正反対の結末になっていてビックリの昔話が多くてびっくりしたことがある。そういうイデオローグ満載の思想警察によって改変された昔話が、果たして各地に伝わってローカライズされていった物語と同一に扱って良いものかは、まぁ個人的にはNGでしょとは思うのだが、そのへんの商業化との兼ね合いもあって別個に議論されるべきではあろう。
 そのへんの「物語は決して変化しないものではない」という知識をもって今回の話を視聴すると、なるほど物語とは何かという議論をちゃんと考えて作られているんだなというのは窺えるので、なるほどこれがこの作品の特徴なんだなと納得もできた。とかくヒトというのは最初に聞いた物語を定番と考える傾向があって、ヴァリエーションを探すことなど普通しないわけで、そしてその物語に内包されているメッセーヂ性を例えば無意識にしても心の支えなり生きるための指針や規範のようなものとしたりするわけで、なかなか変化を受け入れがたいものではある。物語と物語が戦うというのはなんの記号なのかはちょっとわからないが、作中で魔法といっていたのが具体的になんであるにせよ、世界中に伝わっていくというのが世間の評価を受けるなりのメタファーなのだとしたらこれもまた象徴的で面白い。人間というものはすべてにおいて0から何かを生み出すことはできず、自分が経験したこと、知識を得たものを改変していわばアウフヘーベンでしか何事も成し遂げることはできないから、結局の所、私だけの新しい物語を作るということは、いろんなものからいろんなものを拝借することに過ぎない。だから主人公がいゝとこ取りして自分の物語を作るなんてけしからんというのは的外れといえばそうであって、人間は知識の積み重ねによってしか新しいものに変化させることは出来ないということこそが本質だと考えると、こりゃうまい話運びだなと思わざるを得なかったという。