YUNO終わった。

 最終回としてはキレイに〆たといった感じ。拡げた風呂敷も畳んでいるしそのへん手抜かりはないのかな。正直原作ゲームをやってないんで比較もできないし、昔ながらの大きな物語としての結末なんでこんなもんかと。
 ストーリーの古臭さはもう大概言及しているのでアレだが、やはり昨今のループものに対する規範的なものなのという点については金字塔と言ってもよいだろう。とはいってもラノベやなろう系があまりに構成が陳腐だといっても、構造上仕方がない部分もある。ゲームだと必ずエンディングがあり、プレーヤーというか読者としてはそれを目指さなくてはならないから、ゲームクリアのご褒美としてのエンディングはそれなりにケリがついてないといけないが、ラノベであれば、売れ続けるためには引き伸ばししないといけないわけだから、そもそも最初っからエンディングは設けられてないか、エンディングが設定されていたとしても、物語が続いていけばキャラ同士の関係性の変化から初期に設定していたものから変化するのも当然。なろう系であればラノベに準じるか、売れることよりも自分の趣味でダラダラ書き続けているのなら、終わりのない日記のようなものであって、やはりエンディングはそれほど真剣に考えられていないものが多いだろう。というわけでそもそも終着点がしっかり定められているかどうかで両者は異なるジャンルと言ってよいほどなのではないか。
 が、ループものに関してはちょっとめんどくさい。自分もストーリーを組むのならYUNOぐらいしっかり組めと言いたいが、原作ゲームが出た当時は宮台真司がようやっと終わりなき日常を生きる時代と言い始めた頃で、まだまだ大きな物語に訴求力があると信じられていた時代。対してラノベやなろう系が全盛の今は、経済が停滞状況であって、終わりなき日常がまぁ世間的にある程度受け入れられている時代。前にも述べたが、就活なんていい例だと思うが、昔だったら大学なり高校なりで内定をもらって一発で就職先が決まっていたのが、今や何度でも応募して何度でもやり直すようになってる。前世紀はそれなりにゴールが用意されていて、そしてそれは就職なり結婚なりそれなりの出世なりなど、人生の節目節目にちょっとしたゴールが用意されていたわけだ。それが、今や学齢期でも不登校になってしまったり、就職がいつまでも決まらなかったり、決まったとしても非正規雇用だったりして、不安定な日常がいつまでも続くということを想定しないといけない。それなりのゴールが全員に用意されておらず、ちょっとした目標に対して繰り返し繰り返しチャレンジするようになってきてる。そういう人生設計上の社会構造の変化が、大きな物語から終わりなき日常のループというものに反映されているのだとしたら、いくらラノベやなろう系がテキストの構成的にしっかりしていないからといって、それが有効な批判になるのか?と言われたら、自分でも微妙な感じはする。
 ただ、ループものにしたって、ゲームをリセットしてセーブしたところからまったく以前と同じ条件でやり直しするように現実もそうできるか?と言われたらそれは無理なのであって、ただ、都市部のように人口の流動性の高いところだったら、失敗したことを知ってる他人もそれほどいなくて擬似的にセーブポイントから*1やり直しはできるではあるが、まぁ本人に近い周囲の人はそうではないわな。そういったところを含めて、確かに失敗したらやり直しというのは現実でも再々起こるが、失敗したことが本人の経験値となりそれを次の行動につなげることができるが、本人を取り巻く環境が変化しないということはフツーに考えてありえないことなのであって、そのへんやはりこのアニメ版YUNOのバランスはそれなりに考えられているとは思った。
 ただ、大きな物語から終わりなき日常への変化が、今後の日本のことを考えると、もうこのアベ政権から経済的な停滞から明らかな衰退に向かっていることがわかってしまったので、大きな物語はおろか、昨日と同じ日常が今日も明日も続くということすら贅沢になってしまうという時代になっていくだろう。なら、物語も徐々にそういう社会を反映していくものになっていくと思うが、正直その変化は楽しみどころかあんまり見たくないもののような気がするんだよな。
 とまぁつらつら書き殴ってみたが、センスが古臭いままこの作品を今更放映してみせたのは、そういう過去と現在の精算をやってみたとか、大きな物語を知らない若い世代にあえて見せてみる機会を設けてみせたのか、実際にこの作品がどれだけ視聴されたかどういう印象を植え付けたのかわからないと評価のしようがないというか。実際に若い層の感想を聞いてみたいところではある。そもそも若い世代がどのくらいこの作品を見切らず完走したのかすらわからないしなぁ。

*1:失敗したことは自分の経験として活かしながら