恋は雨上がりのように 第4話

 あ〜、底なし沼だわ。
 加瀬もアホやなというしか。あんなやり方だったら関心を自分のほうじゃなく、なおさら逆に振るだろうに。あきらがちょっとしたやさしさで店長に惹かれたのがきっかけだったとしても、フォーカスがあってしまったら、もう相手のよいところしか見えないってのが恋のあり方なので、どんどん好感度があがるしかないってのはそうなんだけど、加瀬がこんなアプローチをしたら、あきらとしては好感度が高止まりした店長と、悪印象の加瀬とを自然に比較することになってしまうから、ますます店長の株が上がってしまう。そして人間は得てして経験でモノを考えてしまうので、加瀬が店長をおっさんと蔑んでも、若者である加瀬が悪い見本を示しているので、増々あきらの中ではおっさんであることの忌避感は薄れ、逆に若いということであることが拒否対象になってしまうという悪循環。あきらは挫折を味わっているから、他人の挫折に対しても許容できる状態だろうし、そうなると挫折をバカにする加瀬は増々嫌われる結果になる。なんつーか、環境があきらを店長側に追いやる結果になっているのがなんとも罪深いというか。
 しかも加瀬がデートスポットに選んだ映画館を店長も自発的に選んでるんだろ。センスの違いは両者に違いはなかったんだからこりゃねぇ。好きな人のことを考えると年相応のかわいらしさを見せる姿を描いていかにもおっさんホイホイの作品だなぁと。
 これが学校教育では今のゆとり教育で甘やかされている若者世代(45歳ならおそらく親がモンペ世代ともギリギリ違うはず)とは違い、しかも成人時にまともな社会情勢でもなく就職も厳しく、ならば結婚もできなかった(店長は結婚していたという設定だが)氷河期世代への鎮魂という要素がなかったら、どうにも困惑するところだったろうなぁ。