SHIROBAKO 第9話

 結末が決まってなかったことに驚き。
 ラノベとか漫画とか、全部を一人で抱え込む仕事だったら、やってる途中で結末が変わったり、書いている最中に方針変更ってのはまぁわかるんだけど、こういう各方面と調整の上進めていく仕事*1だったら、あんまりだなぁ。作業変更で発生する無駄なコストは誰が負担するんだろ?。
 今回は「自分が本当にやりたいこと、やりたかったこと」を見つめなおすってのがテーマになっているんだけど、なんか強引な気がしないでもない。タイヤの3Dでストレスが溜まっていた今井にしたって、なんかこう思い描いていたことゝ現実のギャップに悩むというところが、なんだか食うことゝズれていて、天に唾するような印象を持ってしまう。実際にアニメの仕事に携われている友人と自分を比較して焦る描写が主なのはわかるし、監督のような上流工程の人間が自分の想いは想いとしてあるにしろ淡々と仕事は仕事としてこなすということになると、業界が機械的に見えてしまうだろうから、その辺避けたかったのかねぇ。というか、自分は監督は作品ごとに借りてくるものであって、制作会社が飼っているものではないと思っていたんだけど、そのへんどうなんだろ?。いや別にこの作品で描かれている木下監督が武蔵野アニメーション所属だという確信は得てないんだけど。

*1:どのくらいの割合そうなっているのかわかんないけど、最近のアニメはハリウッド映画のように、キャラクターや物語を構成する要素をカード化して、テキストに関わる全員がブレストしながら視覚的に物語を作成しているらしい。そういう方式だと途中の展開や結末に思い悩むということ自体が無くなってしまう。