早くも裏切りとか展開速いな。
うーん、前回に書いたように、小説からコミカライズの段階でいろいろ削り落とされているということを念頭に置いたらいろいろと納得できることが多くてちょっと参った。おそらく丁寧な描写をしたらもっと面白いんだろうと思う。問題解決も説明して終了なんだが、原作はもっと仔細に書いているかも知れず、かといって細やかに描写することでもたつきも生じるので難しいところだわな。
前回金橋で集めた水が桃源郷に入るための条件になっていて、運んだ水の量に応じて待遇が変わるというもの。桃源郷内での境遇はその中での労働と引き換えになっていることなど、それ自体は設定として面白いが、どうやってそのことを明らかにしたのか、過程が知りたいところ。が、これもそれをやってると話がもたつくし、結果がわかればサクサク話は進むでしょということであれば、それもまた可なりなんだよな。
今回は文化の違いというよりは、桃源郷の設定が気になった。貨幣経済が採用されていないのはまぁ理想郷としては普通の設定だが、労働こそが対価として通用しうるというのは、考えの源流がモロ○経のはず。原作者の年齢がいくつかわかんないが、これって改革開放後の急速な中国の資本主義化に対するちょっとしたメッセージなんかなと思わなくもない。かといって共産主義にたいするシンパシーは感じられないんだよな。
あとやっぱり家柄を気にするんだなといったところ。中国は割と貧乏人でも皇帝にまでなりあがれるって歴史なんだけど、これは人望も含めて完全な実力主義ではあるんだよね。日本はその辺中国よりえげつなくて、政権を担うのは必ず天皇の子孫であるという家系をでっちあげなくてはならなかった(室町、徳川幕府は源氏の末裔であることが条件、その源氏は元が天皇の傍流という意味付け。明治以降も維新直後はなり上がりが多かったが、それ以降急速に権力者や皇族の姻族であるということがステータスになっていく)わけで、主人公はどこの馬の骨ともわからぬという風に今はなっており(その代わり前回のように英雄の生まれという提示がなされている)、主人公の周囲はどいつもこいつも権力者の子弟になっている。が、その権力者の子弟だろうと、基本実力主義みたいな立ち位置になっていて、あんまり親の七光りが試練の達成には関係せず、汗水たらして試練の遂行に励むという姿が示される。
あと、心の知能指数という言い方に引っかゝった。中国語でもこんな直截な単語が使われているのか、それとも日本語訳にするときにわかりやすくこんな単語にしたのかちょっとわかんないな。ほんでもって、わざわざこういう単語を引き合いに出し、この作品が中国で人気ということは、やはり中国でも昔の人情らしきものが失われていく段階なのかなと思わなくもない。いやまぁ歴史的背景が違うから全く同じレールに乗るわけではないんだけど、手本とするからには欧米の後追いを日本がし、その日本の後追いを中国がするからには、ある程度何が失われていくかは大体同じ過程を経るみたいなものが感じられてちょっとペーソスを感じなくもない。以前アタックNo.1を視聴したときに、商店街の衰退や沖縄の在日基地などの社会問題を取り上げていてビックリしたが、中国は世界の工場としての地位を確立し、公害などの問題が発生して解決方向にあるところを見ると、日本で言う'70〜'80年代ぐらいの時期なのではないだろうか。まぁバブルってこともあるから'90年代よりちょっと前ぐらいの感覚かもしれないが。