蒼穹のファフナー EXODUS 第4話

 日本の神話に出てくる名前が良いという徴候。
 コアが都合よく用意されて、若者が戦場に駆り出される不安を描くの巻。若者ゝ昂揚感とは別に親世代の悲哀を描く手法がなんとも。最高司令官がわざわざ各家を訪ねて挨拶をするというのもちょっと複雑だな。先の大戦では、責任のある連隊長あたりは自分の連隊の一兵卒まで覚えていて、戦死すると遺族の家を訪問した人もあったらしいが、そういうのを念頭に置くと、親に子供の死を現実として覚悟するようにという描写のように思える。もっと直裁に言うと、子供は死んだものと思えという決断を迫るということ。真壁司令のあり方は旧日本軍のあり方とは対極にあるものという表現ではあるのだが、この作品がまさに安倍政権で戦争法案を隠しもしなくなっていた頃であるのを考えるとなんとも言えない感じだ。安倍は自分が合衆国に利益誘導する見返りに総理大臣でいさせ続けるというためには、オトモダチ以外の日本人が自衛隊員として命をナンボ散らそうともなんとも思わない…、仮に死んでも補償は国民から税金としてむしりとって配ればよいだけのことぐらいにしか考えてないので、まぁリーダーとしての対極を示すということが何を意味するのかは明らかだとは思うんだよね。
 しかし、フェストゥムという敵が何のメタファーかやっぱよくわかんないな。欧米が目の敵にしているアラブやイスラムというのでは決してないし、日本の日常生活を破壊する金融資本主義っていう風にもちょっと思い難く、かといってロボットバトルを映えるものにするためにでっち上げたものとも思いにくい。現実とリンクさせないようにわざとデザインしているのかもしれないが、対話云々はやはり哲学的なものだとしてもなんか人間社会と関係のあるものだろうとは思うんだよね。とはいえ、冲方がそういう対話をそもそも視聴者としようとしているのかちょっとわかんないところもあって…。