THE ROLLING GIRLS 第4話

 ダイナマイトボマーズじゃないのか。
 しかも石の争奪戦に気を取られてそういうネタがあったのをすっかり忘れてたよ。なんかみんな自白して物事が収まっていくというなんじゃそれといったところ。もちろん各キャラはそれぞれが道に迷っており、初心にかえることで自分を取り戻して収束していくって流れは見えるんだが、肝心のテキストが今一。それぞれのキャラクターが悩んでいるところもきっちり描写してるんだけど、善意の人に戻るきっかけに対する詰めが甘すぎる。結局自然に自己解決しましたってだけなので、人と人とのかゝわりに何の意味もないという。いやまぁおそらくこの作品の背景として考えられている'80年代を思い起こしてみると、そもそも主人公格の4人が日常から飛び出して道中で壁にぶち当たり、その中で悩んでそれなりの解答を出すというか、成長していくってのはなるほど。行動を起こすにあたって、内面からの衝動に突き動かされて何の理由もなく、他人に相談もなくってのは確かにそうかも。今の時代だと納得のいく説明を!だもんな。象徴的なのが千綾と母親の電話での会話で、子供のほうは理由を説明せず旅を続けることを宣言する('80年代)が、母親は帰ったら説明する(今ドキ)という対比。
 対比といえば、今回は石に関しては与える・奪う、もしくは捨てる・拾うという関係も示されていて収まりがよくなっていたというか。団長が石を奪う→返す、千綾が石を取り戻す→新団長に与えるという形になっていて、千綾が新団長に与えることになったのも、母親が石を集めるに際し、方々から奪っているという構造を見抜いたがための一種の贖罪みたいな側面もあって、そういうモノを媒体にいろいろな人の想いがダイナミックに伝播していく様が活写されてはいるんだよね。
 なんか自分は地方が自立していく様を理想も問題点も含めていろいろ提示している作品なのかと思っていたんだけど、ちょっと様子がヘンぐらいには思ってきた。地方分権はおそらく単なる舞台装置、つまりネタ以上のなにものでもなくって、'80年代テイストを視聴者に提供するってのがテーマなんじゃないかぐらいには思い始めてる。曰く、もっと若者は自由になっていゝんだよぐらいの、閉塞感満載の現代における風穴空けぐらいの想いというかなんというか。でもそういうのは却って当の若者には歯牙にもかけられないというか、心に響いてはいかないとは思うんだよね。そういうのを手玉にとってしまわれるというか。自分のようなオッサンだと郷愁みたいなものも含め、テイストをそれなりに楽しめもするんだけど、そのへんどうだろ?。まぁまだ4話なんで自分の見立てが果たして正しいのかどうかもよくわかんないが、そうだったのだとすると、この作品があまりウけなかったのも納得というか。