棺姫のチャイカ 第22話

 切り刻まれても不死身なフレドリカ最強だな。
 なんかテンポよく終わってしまった。ガズがトールに止めをさすときになぜか要塞を開けっぴろげ、そこを白チャイカにうまくつけ込む隙を与えてしまうという。ニーヴァの裏切りもなんというか物語を〆るためのギミックのような気がしてなんかもったいないというか。しかし物語としての結末、主張のとりまとめを行うためにはこういったどんでん返しを使わないと、グダグダ続けるわけにもいかんからなんとも。でもまぁこうやって終わってみるとなるほど言いたいことが伝わってくるような気がして、そのためにうまくまとめたかなというのは確かだな。
 ちょっとWikiをのぞいてみると、特に結末が原作と大きく逸脱しているようで、ある意味原作設定を利用したオリジナル作品に近い感じがする。というか、原作ではトールのハーレムルートらしくて羨ましいぞ。
 トールに関しては、生きがいを失っていたのが白チャイカの依頼により目的を見つけるわけで、それが最后になって穏やかな生活を送っているのは彼的にどうなんだ?と思わざるを得ない。が、なんというか、途中で英雄の一人が余生をぶどう園の経営に精を出しているというのがあって、トール的にはガズ皇帝の野望を打ち砕いたことで満足し、余生を白チャイカの養生のために尽くすって感じで、いちおうオチはついているのかな。
 白チャイカの父親と弔うということは…ということのオチはまぁなるほどゝいったところ。復活した父親に道具どころか術式、つまり形あるものですらなく、フィクションでしかないと断言されるのには驚いた。おそらくこれは5年ほど前に言われていた、ブラックバイトで消耗させられる従業員の、「もう従業員は人間はおろか奴隷や家畜扱いすらされず、企業*1の燃料として消費される存在」というのと対応しているはず。そういう連中の取り扱いは決して許すことでも同じ人間扱いすることでもなく、とにもかくにもこの世から消し去るべきという主張がなんとも胸がすく思いではある。
 ニーヴァの裏切りもおそらくそれに対応すると思われる。ニーヴァ自体は確かに道具ではあるのだが、道具であるというのは間接的な表現であって、その奥にあるのは開発した技術者のメタファーになっているんじゃないかとも思える。今の日本だと大企業の経営者は本当に技術者を自分の出世のための道具としてしか遇しておらず、それを会社の業績云々という理屈であくまでも技術者を金儲けの手段ぐらいにしか思ってない*2。で、この構図は別に技術開発に限ったことではなく、末端の現場で働く営業などもあてはまる。
 結局自分も視聴し終えるまで勘違いしていたと思うのだが、これは現代日本(世界)の不況時における不遇をかこつ若者(および若者に限らず労働者などの庶民)の生き方などではなく、世の中が戦乱の世であることで利益を得る(得ようとする)層へのプロテストなんだなということらしい。アニメ化の企画がそういうのを原点にスタートしたとも思えないのだが、結果としてそうなっているというか、いやもちろん世の中がどういう方向に以降としているのかアニメスタッフが敏感に感じ取っていて、やはり主張としてそういうのをテーマに置こうとしていたのか、まぁそんなところだと思っている。大きな構造として一度滅ぼされたガズが復活するという図式は、太平洋戦争で滅亡した日本が、70年の時を経てまた大日本帝国のような特権階級のやりたい放題の世の中にしようとする層、特に現代日本では自民盗が筆頭に上げられると思うが、そういうのとよく合致する。ガズ皇帝が討伐されて世の中が復興途中ではあるのだが、で、ぶどう園のように戦争に関連していなくてもいくらでも幸せに暮らしていける道はあるのに、結局のところ戦争がなくなって食い詰めた連中が、戦争によって生きがいなり利益なりを得るために不穏な動きをするところなぞなんとも今の自民盗のあり方、そしてそのやり方にくっついて利益を貪ろうとする連中の姿と重なる。特に憲法解釈で戦争法案をゴリ押ししていたりするのをみるとね、数年前にこの作品が作られたことを考えるともうスゲェ未来予測だと思うのよ。で、若者への働きかけが、大した職も用意しないのに、戦争で煽っていかにも現実の不況から目を逸らさせるだけの政治パフォーマンスだからねぇ。チャイカに贋の記憶を刷り込んで遺体集めに意義があると思わせるのも、自民盗の歴史修正主義そのものだしな。いやもう感服仕ったとしか。
 そう詳しく読み込んでないのでアレだが、原作はそれでも冷戦ゴッコを続けているそうではあるが、赤チャイカやアカリの姿を見ていると、やはり生きていくための糧は戦争に関することではないようだし、ジレット隊は擬似戦争ごっこで身を立てるのではなく戦後復興に邁進するらしいしで、まぁ何戦争を選ばなくてもやることはたくさんあるよという描写だったような気はする。じゃぁ何が不況時の世に必要なのよということについては深く語られてはいないが、ガズ皇帝の復活阻止に大いに貢献のあった当の本人であるところのトールや白チャイカに戦いに関連する地位が(原作と違って)与えられ、平穏な生活が提示されているのを見るにつけ、まぁそういうことなんかなと。若者の生きがいをどこに求めるべきか?というのが主要なテーマだと思ってたんだけど、むしろそういうのにとらわれていたら下衆な連中にいゝように利用されるだけだよという結論だったような気がする。
 正直物語としてはよくできてはいるものゝ、どうにもスカっとしない話が多かったというか、いやそれでも毎回面白くないわけではなくって、この作品の到達点が見定められないように上手くぼかされているというか、いや、そういうのは途中からでも読み取れなかった自分の読解力が無いといわれたら層なのだが、まぁこんなものかというところ。が、殺陣にはキレがあったし、実は女性声優陣のちょっとした素人っぽさがもう自分の琴線に触れまくりで、これはなかなかクォリティが高いといわざるを得なかった。目を凝らして視聴しなければならないという集中を要する堅苦しいものではないんだが、かといって流し見ではもったいない作品。キャラデザはさすがに媚びてるだろというのはあるのだが、露骨な萌え要素は極力排除されていて、そういうのが隠微な魅力ではありましたよ。テーマがこう鉄板で普遍を狙ったものではないというのと、そういう作りではないから難しいのではあるが、かなり名作に近いおもろ+なんじゃないかと思っている。
 なんかWikiを見ちゃったからアレだが、ハーレムルートでなければぜひ続きを見たいという感じだったのだが、こゝで物語を閉じちゃったアニメスタッフの判断はなかなかよろしかったのではないかと思ってしまった。

*1:経営層や管理職

*2:これは恐ろしいことだが、経営者はおそらくそういうのに自覚的でない