魔弾の王と戦姫 第12話

 冒頭はラス前のテコ入れ?。というかテコ入れの意味はこのタイミングではないだろうし。
 なぜかこれもこのタイミングで親代わりのキャラの死。一緒についていくという時点で死亡フラグ臭プンプンなんだけど、どうなんだろ?。もうフラグの認知度からいうと、告知以外の要素が見当たらない。かえって物語上の驚きを減退させ、その引き換えといってはなんだが、安定性は獲得するんだが、そういった手垢のついた手段を原作者なりアニメスタッフなりがなぜ踏襲したか?というところ。こういうキャラの死は昔話的にも物語的にもそれまでの古い主人公のあり方から脱皮して新しいステージに移行する際のイニシエーションではあるんだが、それがなぜラス前か?というのを考えると、続編があるのか?とも思うが、続編が無くても、続きは原作を読めなり、最終回がまだまだ俺達の戦いはこれからだ!でも、まぁ格好はつく。
 うーん、なんか微妙感増してきたなぁ。古いタイプの物語のフォーマットに従って、新規さを模索しないことの意味が一つ、徹頭徹尾理想の領主サマを描いて、上下構造の正当化を行っていることがもう一つ。後者に関しては、なぜボトムアップの構造を描こうとしないのか、民は自立するんじゃなくて支配者への依存する姿しか見てない。もちろんキャラ立ちを目的とした群像劇が主なので、そういうのを描かないのは別にいけないことではないのだが、民のために尽くす領主と民のあり方の像がなんともな。民は守られるだけの存在になっていて、いろいろ変化はあるものゝ、民の側でだらしない描写もあったわけで、で、確かにモンペ・クレーマーの現実から、そういう構造が現実の日本にあることもまた確実であって、でもそこから民であろうと形はどうあれ民をまとめる側としての我々のあり方を問わないのは、やっぱそういうのは初めっから棄却されていると見てよいのだろうけど、それでいゝのかという念は残るわけで。自分自身を組織化できず、自立も出来ない依存心だけの民だからこそキャラが引き立つというのはわかるが、そういう構造を是として物語を世に問うのもなぁ。いやまぁ是としているというほどでもないんだけど。