たまこまーけっと 第12話

 いや、たまこに目星をつけていたとかウソだろ。
 終わったね〜。しかし確かにアレだな、この作品の人気がでなかったとか、わかるような気がする。デラはお邪魔キャラだし、コメディとしても腹を抱えて笑う要素はないし、ラヴ要素も微妙、肝心の物語の軸が「お后候補を探したが、王子まで出張ってすごすご引き下がる」って盛り上がりにも欠ける。登場人物の感情描写もこの作品ならではってものはそんなになかったしで、一般の視聴者にとっては起承転結がわかりづらいものだったんじゃないかな。おそらく終わりなき日常を描くともっと退屈だから、デラを参入させて波紋を巻き起こし、その揺れをきっかけとして日常を切り取ってみましたって構造だろうから、まぁ作品世界が気に入らなきゃ切られるワナ。
 が、自分的には楽しめたというか、かなりおもしろかった。自分が感想で述べているほどスタッフにとって文化人類学的要素やコミュニティ論ってのは際立ってなくて、そうであってもやはりどういうコミュニティが居心地の良いものなのかって視点は必ずあって、その中での挙措振舞いってのがけっこう濃密に描かれていたように思う。おそらく小津安二郎あたりの時代の映画の日常描写あたりは念頭にあるんじゃなかろうか。と無責任に述べてみる。
 最終回ということで、デラが居残るということがしつこく描かれていて、自分なんかはあゝなるほど、デラは帰りたくないんじゃなくて、このコミュニティに残りたかったんだなというふうに感じた。まぁ文化人類学者がフィールドワークをした結果、その土地に居着くって感じかな。そりゃ換えれば日々チョイに縛られ続けるのがわかっていて、それで居心地の良いところに逃避したとも見えなくはないが、まぁ基本、視聴者対象に、人はそれぞれ居心地の良い場所があるはずに違いなく、それはきっと身近なところにってなメッセージのようにも思える。
 あと一つ、たまこがチョイにメダルを渡そうとして受け取られず、チョイから折鶴を送られるというのにも意味があるんだろうけど、今はちょっとこれだというのが思いつかない。
 この作品を視聴するにあたって、「死のイメージ」というのを念頭に置いていたが、なんか作品全体にその「死」というテーマはあまり見当たらなくって、やはり他所で触れられていたように、たまこにたまこの母の死を意識させないというぐらいなのかなとは思った。いや、実はこの最終回こそ、花に包まれて眠るデラの姿こそまさにそうなんだけど、これも作品全体というよりは、嫁探しをしていたデラが、その任務を離れて商店街の一員として生まれ変わるぐらいの意味にしか見えなかったな。あと強いてあげるとすると、この作品世界がいつまでたっても変わらない、つまりイノベーションの起こらない死んだ世界というならば、それはそうと言うしかないが、じゃぁ商店街のありかたが死んだ世界で、その死というのをマイナスイメージで捉えているかと言えばそうじゃないわけで。スタッフが居心地の良い世界を描いてみせて、しかしこんな世界に耽溺すべきではないという主張のようには思えないわな。
 自分としては他人にも勧めたい作品ではあるんだけど、じゃぁこの作品の魅力がなんなのかといわれると困る。なんか本当の主張は曖昧模糊として、むしろ積極的に隠されているようにも思えるし、全編を貫く恋愛要素が魅力か?といわれると、それはちょっとこの作品の本質を外しているように思える。音楽もスタッフの懐古趣味的要素が大きくて、むしろスノッブ臭がするぐらいで一般ウケも外しているし、やっぱターゲット層は限られる感じだ。思わせぶりな描写があって、それはなんかの伏線だったり、伏線の回収だったりするんだろうけど、そういう読み込みもしんどくなってしまったところはある。そもそもけいおんだの日常だのを作った*1京アニがヒット作の条件をわかっていないはずもなく、この作品が初めっから大ヒットを狙ったものじゃないんだろうなとは思うんだよね。万人向けでないということではおもろ+なんだけど、個人的評価はもちょっと高い作品。劇場版はどうすっかなぁ〜?。
 

*1:まぁそれらは原作つきではあるんだけど