夏色キセキ 第3話

 なんかとってつけたような風呂シーン。
 はじめは茶髪の“弟”とは思わなかった。やけに色気の無い入浴シーンだなと思っていたら、本体は既に浴槽の中で気を取り直す。
 おゝ、この様子だと、前回考えていた、「実は金髪も茶髪もくっつきたがっていた」というのは見当違いだったかも。今回の緑髪とピンク髪の二人はくっつく動機がないもんな。強引に、前回金髪と茶髪がくっついていたのを見て、不便そうだけど自分達もやってみたいと潜在意識で思っていたとこじつけることもできるんだが、やはり無理がある。
 なんか、この時点で駄作として見切った視聴者も多いんだろうなと思いながら、御石様のキセキ発動の条件が気になるね。たいていの昔話は、天罰や善行に対するご褒美としてキセキが現れることが多いんだが、ギリシャ神話だとか旧約聖書なんかは神は理不尽な形をとることもある。この作品はもちろん昔話ではないのでどちらをとってもいゝんだが、だからといってフィクションだから物語をドライヴさせるのに何でもやっていゝってことになれば、視聴者に呆れられるので、普通は条件を設定しているはず。
 同じ願いは叶えてくれない−しかしくっつくのは2度目とキャラにも言わせていたが、どうなんだろ?。御石様が4人組以外にも願いを叶えることがあるのかどうかについても手掛かりが欲しいところ。前回述べたように母親の描写があったから、血筋云々とかあるのかね。
 そういうのを抜きにして考えてみたんだが、今回空を飛ばせてくれなかったのは、解決すべきミッションが茶髪弟とその友人の仲直りであり、空を飛ぶこと自体ではないってことなのかな。最初に空を飛んだのは御石様による少女4人へのキセキの告知であり、それほど飛ぶことに対してのこだわりはないのかねと思ったりする。
 しかしまぁ仮に今回4人が空を飛んだとして弟達の仲直りが果たせたか?と言われたら、果たせたかもしれないとは思うんだがなんかバカな話になることだけは間違いない。今のところ自分の中では「人間関係がこじれた際、御石様はその修復のきっかけをつくる」というぐらいかな。今回なぜキセキが発動しなかったのかといえば、それは4人に空を飛ばさないことこそが人間関係の修復に最適と判断したからというもの。御石様が自身でキセキの存在を4人の少女以外に隠蔽するためにキセキを発動させなかったという理屈付けも考えられるんだけど、それはなんだかなぁって感じだ。それなら最初っから4人に(他人に気付かれるような形で)空を飛ばせるなよとなる。
 さて、どうでもよいことをダラダラ書いてみたが、結局のところ御石様って何のメタファーだよ?と。前回二人をくっつかせたことってのは、別に本当に物理的にくっつかなくても、状況的に二人の距離が近づかざるを得ない状況であったと考えたらよいと述べたのだが、そういう状況的圧力のようなものって言ってよいのかね?。しかし、こうやってダラダラ書いてたら、正直節操のないデウス・エクス・マキナのような気がしてきたよ。