っつーわけで、たまゆら曜日。

 うーん、正直ネタが無いというか、たまゆら自体がどうも作品内で閉じてしまっている部分が多くなってきたので、汎用性というか一般性が無いというか。竹原が町を保存する目的にどうも観光があって、それにアニメ企画が乗ったというか乗せたという構造にやっぱりなってたというだけの話なんだろうかと。で、けいおんのように女子高生の日常が商業的に売れたという現実があって、それに微妙に似せているのかもと思ってみたり。
 でも、アニメ企画を呼ぶにしても、アニメのほうが寄っていったとしても、やはり基本は人を惹きつけるものがあり、その人をひきつけるのはその土地の人であるってのがあって、やはり東電の原発安全対策の不備はいくら地震が天災だといっても放射性物質漏れという事故は人災だったように、竹原も素材はあったとしてもそれを生かすのはまた人であるという。
 で、企画を呼んだにしてもアニメが寄っていったとしても、そこにあるのは人を大切にすることなんかなと思ってみたりする。町のほうががめつくカネカネ言ってたら、あぁいう作りになってないだろうし、いや、アニメのほうが利用するにしても町自体に人を大切にする気風が無ければやはりあぁいう作りになってないだろう。まぁモノをつくっていることに変わりはないんだけど、やれ名物の菓子を作るのとは違って、そこに人の思いを込められるってのはアニメならではのものなんだろうな。難しいところだけど、銘菓も当たり外れがあるし、アニメはそれに輪をかけて当たり外れがある上にハードルも高そうだわな。町内部で人を大切に出来なければ、外の人も大切にできないし、またそういう気風は伝わらないかも。かといって宣伝をしなけりゃ知ってもらうこともないし、いやでも宣伝して要らぬ人を呼び込むのもなんだし、また別に人を呼ばなくても自活できるんならわざわざ外部から人を呼び込むこともないんかねぇ。
 そうそう、とりとめがないついでに、思い出したことがあって、今経済関係のネット記事では「移民を呼び込むのは無駄」という論調を目にするようになった。いくら企業が雇う上で人件費が安くつくとしても結局つけを後回しにするだけってのがあって、いやそれは愛知に乱立したトヨタのブラジル村だとか昔から懸念されてたことだろとは思うんだがな。いや昨年度末までゞ、自動車などの輸送機器関連を初め、こゝ一週間ほどの報道で家電メーカーがことごとく赤字決算で一万人単位での首切りを目にするようになって、ようやくマスゴミにそれらのメーカーからの宣伝費が流れなくなったか、ようやくマスゴミが宣伝費をくれなくなった仕返しに移民反対の言を唱えだしたかなんて思うのだ。あぁ、世の中無常無情よのぅ。昔は移民が来ることによって日本に新しい文化の風を吹き込むなんて明るいヽメージを垂れ流してたもんな。あれだけヨーロッパで移民問題が深刻化していた時期にも関わらずだよ。しかしそうなるとなんだな、今その企業城下町における移民コミュニティがどうなってるのか、最新状況を知りたくはあるな。