なんでOPから泣けてくるんだ?。
前シリーズは既視聴。結構楽しみにしてた。で、出来はバッチリ。スタッフはよくわかってると言いたいが、そういう物言い自体が上から目線だよな。かと言ってスタッフは視聴者の見たいものをそのまゝ斟酌して見せているのかというと、やはり見せたいと思われる部分はしっかり埋め込んでいるんじゃないかと思った。
で、イカロスの迷いを振り切ったような態度とか、不安を隠しきれないが決心がついたようなニンフなど、キャラに表情をつけているんじゃないかと思った。しかし、女(除くエンジェロイド)キャラは相手にぞっこんなのな。で、結構男のほうは態度に決して表さないけど、そのことをわかってるっぽい。登校前の牛乳を勧めるそはらと智樹のありようを見ると、どう考えてもこの二人は長年連れ添った夫婦で、他者の付け入るようなところが全く無い。前シリーズで智樹とイカロスのカップリングを考えたんだが、それは無いっぽいな。でも、物語上、幼馴染のそはらと暗い過去を持つが助けられて心の絆を持ったイカロス(もしくはニンフ、えーっともしかしたら新登場のエンジェロイドもそうなのかも)との選択なんて場面もあったりするのかも。しかし智樹がリーダーとしての記号を持たされているから、公平な立場を保つということになるんだろう。智樹がリーダー、守形が頭脳担当で安定したな。で、夢の少女は新登場のエンジェロイドを大切にしてあげてとか言ってたが、こりゃイカロスやニンフと同様助けてやってくれってことだよな。まぁこの台詞で今後の展開が決まったとは言えるんだが、それでも見ちゃうわな。
しかし、智樹の夢がシナプスと直結してるとはねぇ。シナプスという上位構造が日本でいう自民盗*1や経団連あたりの寛容無き特権階級、イカロスやニンフがエンジェロイドという「働く機械」(類義語「女性は産む機械」by柳沢伯夫)、ダウナーが特権階級の搾取対象である日本国民って構造が透けて見えるんだけど、このふざけた外見を持つ作品が本当にそこまで見据えて作られているのか迷う。いや、たしかにエンジェロイド達が卓越した能力を持ちながら、それをダウナーに対しての抑圧装置として使われるって構造は、これまさに日本の縮図であって、そこらへんまでは確かに原作者が話の根幹に据えているのは確信できる。アニメ化されることで、どれだけ手が加わっているのかわかんないんだけど、結構そこらへんの背景は考え込まれているってのが推測されるんだよね。で、それがちゃんとキャラの表情や状況などに描きこまれている。で、暗喩と直接表現のバランスがいいんだよな。いや、今回でいうと、女のそはらが、男の妄想的な夢を果たして見るもんなんだろうか?というツッコみはあるんだけど。
EDもえらい作りこまれた曲だったよな。でもたぶん、次から懐メロのオンパレードで、再び耳にするのは最終回だという…。