シゴフミ 第3話「トモダチ」

 トモダチかという命題を自分に問いかけ、疑問に思うことがトモダチの証。
 どっかのサイトさんで目にしたのが、修正部分は千川の父が“猟銃を持って”篭城することだったらしい。スタッフは気にしすぎんだよ@静流瑞生の祖父。フミカは誰にでも見えるのかと思っていたのだが、野島刑事にしか見えていない描写があって、どういう意図なのか様子見。まさかこのタイミングでフミカの過去話に突入するとは思いませんでした。
 いやぁ、実は自分も、辛くて死にたいとか積極的に自殺したいとまでは思わないんだけど、かといって生き続けたいとも思わないって状態になるのは、今でも結構ある。かといって、ふと飛び込みたくなるってことにまでは至らないんだけど。しかしたぶん、彼らがこれだけコミュニケーションを保っているのだから、お互いがお互いの生活を支えあう、封建時代ぐらいの生活をしていたのなら起きなかったでしょうな。むしろイジメが大々的な社会問題になっているからこそ、学校という場がつきあいのためのつきあいというのを強要される場になっている可能性は充分高くて、その中での擬似友達ってなんだろう?という部分に多分触れているだろう今回の主人公の描写は共感されやすいのではなかろうか?。
 そんなに深い仲でもないのに友達だったら相談してくれればとかいうモブは、きっと個人間の分断状態をあらわしていて、一番仲の深いトモダチとの共感が、死という結末をももたらしうる…という問いかけも物語として充分成り立っているよなと自分が思うことも含めて、きっと現代病なんだろうなと思ってしまった。カナカに言われなくても壊れているんでしょうな。