ARIA雑感

 どうにも眠れないので、うだうだと。目を瞑って横になっていると自然に寝てしまうかと思ったんだけど、却ってイライラしてしまいました。それはさておき。
 id:kkobayashiさん経由でhttp://d.hatena.ne.jp/hajic/20060308/p1さんのところを読む。なるほど、うまくまとめてらっしゃいますが、ARIAがいかに胡散臭いからと言って見ないかというとやっぱり見てしまうのであって…。
 まず自覚しておかないといけないのは、視聴者自身が作品製作者に二律背反的な要求をしがちであるということ。キレイ事過ぎると現実感が薄れウソを見せられると白々しくなるものの、では大して美しくもないというよりは薄汚い現実をわざわざ時間をかけて鑑賞するのもアホらしい。無理していやな場面を自分から見てイライラすることもないでしょう。ありえないウソも見たいが、それが手に届くんだよという錯覚も同時に求めてしまうのですよ。そもそもアニメ自体が実写ドラマよりも現実との乖離度が高いので、それを好んで視聴するアニオタが何を求めているかなんてわかりやすいぐらいだと思うんですが。そう、美しいものをありえないほど美しく描くのは私にとっては問題ではないのです。推奨なんですよ。
 だからと言ってはなんですが、灯里が「こんな奴いねぇよ」という具合だからといって腹を立てるほどでもないのです。はじめはいい娘だなぁとも思いましたが、今となっては一番灯里の台詞を無視してこの作品を視聴してしまってます。もはや空気のような存在。むしろ私は胡散臭くとも灯里が連呼する「素敵さ」はこの作品の売りなんではなかろうかと思っています。作者がヴェネツィアがとても好きで、そして日本の失われてしまった情緒にも執着がとてもあるってのは見ていてすごくわかります。そしてそれらが美しく描かれてはいるんだけど、叩かれるのには理由があるんだろうなと考えて思いついたのが、現実との乖離度があまりに大きいってことではなかろうかと。
 すなわち少しぐらいは手に届くような距離感を感じさせてくれないのが大きな元凶だと思ってしまうのです。灯里・藍華・アリスが仕事をしないって叩かれていますが、もともと癒しをウタっているだけあって働き人に向けた作品でしょう。苦労がないってこともないのですが、働きもせず消費生活だけを行う学生生徒に癒しが必要とも思われない*1。だから現実の職場でもまれている視聴者の立場に灯里たちも降りてもらって、厳しい現実の中でも素敵を感じることが出来るんだよ…って構成であればもうちょっと賛同も得られるのだと思う。日陰を追いかけて一日中移動するカフェも、時間の過ごし方はとってもステキなんだけど、朝早くから出勤して夜遅くまでサビ残をして、休日出勤があったり、休日は休養を取るので精一杯で、そんな体験をしたくても物理的に不可能ってサラリーマンに「ケンカ売ってんのか!」といわれても仕方がない。
 金も時間も掛けてステキな思いが出来るのはあたりまえであって、平凡・辛い日常も切り口を変えれば素敵に見えるとか、日常を活き活きと過ごすことが出来るって視点*2、手を伸ばせば届きそうな素敵さが圧倒的に少ないですわな。有閑マダムの退屈しのぎじゃないんだからさ。

追記 id:kkobayashiさんのところhttp://d.hatena.ne.jp/kkobayashi/20060425/p1で触れたように、灯里さんの立ち位置はむしろ適切というべきであります。また、id:hajicさんの前日のエントリーhttp://d.hatena.ne.jp/hajic/20060307はかなり同意です。

*1:むしろ就職事情の厳しい時代だからこそ今の学生のほうが昔の学生よりも現実に近くって、こんなアニメなんて虚飾だと感じているのかもしれません。

*2:そういう見方が受け入れられてしまったら、どんな辛い仕事でも我慢して働かないのは労働者のプラス思考が足りないからだというミスリードになりかねないのですが。