ARIA The ORIGINATION 第4話「その 明日を目指すものたちは…」

 やたらアリシアさん結婚おめでとうというのをネットで目にするんだけど…。
 どうやら原作のほうの話らしい。アリアカンパニーが一子?相伝のスタイルをとる限り、灯里はプリマになる条件だけでなく、アリアカンパニーの総帥として必要なことをすべて身につけない限り試験を受けさせてもらえないと思うのだが。そのかわりといってはなんだが、プリマになった瞬間に最強の新人が登場することになるわけだが。少なくとも今回の話では、候補生中、他の追随を許さない漕ぎの技術を彼女は持っていることが示されているわけで、仕上げの段階に入っていると思われるのだが。
 しかしねぇ、なんですかこの脚本の迸りは。なんかもう視聴中うるうるしまくりだったわけですが。現代であれば企業は新人にすら即戦力を求め、文句を言おうものなら即馘だったりするしな。派遣にすら今回の灯里の「もっとお役に立ちたい」という忠誠を企業は求め、働きに見合った賃金を払うわけでもなく、安くこき使い、少しでも歯向かおうものなら「替わりはいくらでもいるんだ、嫌ならやめろ」という態度だろう。現実にそういう場にいる人ならば、この描写はファンタジーであって、腹立たしい限りだろうが、べき論を言えば、本当はアリアカンパニーのような育成法であるべきなんだろう。
 そもそも、人間が人間らしく生きていくために必要な労働って、いわゆる自民党が想定する持続的な経済成長が前提だと、もう現在の日本では破綻している。自民党の言う経済成長って、自民党にだけ金が溜まるための経済活動であって、それが近代工業の生産力によっていくらでも稼げた時代では通用したかもしれないが、現在はそういう過剰生産力が必要もない需要を求められ、いわゆる「押し売りの強要」がおこなわれている状態では、生活を壊すことではあっても、決して人々を幸せにするベクトルではない。むしろこの作品で主張されている豊かさは、あゆみの行動や語りに現れており、生きていくために充分な財が確保されるのなら、それは確かに理想的な社会ではある。
 後半は新人たちの悩みや未来について、まさにあゆみの言った通り青春で、私にとっては生暖かく見守るしかなかったのだが、燃える。しかし、今まで灯里達は遊んでばっかりというほかのサイトさんの指摘もあったのだが、シリーズ全般を振り返ってみると、むしろアリシアは灯里に与える仕事を足らずめにし、灯里の意欲をきちんとコントロールしていることが分かる。もともと素直な娘だし、素質もあるのだろう。退屈しないように仕事を次々と処理させて成長させるという方法もあるのだが、そういうやり方だと見逃しが多くて、全体を見渡すことなく、金のパフォーマンス追求に特化した人間を育てやすい。ネオ・ヴェネチアという街、その街に過ごす人々たちも考慮に入れた職業観を持った人間を育てるためには、回り道のように思えても、たしかにこういうやり方でないとダメなんだろうなという気はした。
 要するに今の日本は狂ってるんだよ。