甘々と稲妻 第4話

 あざとい役回りのつむぎだからこその嫌悪表現がツボ。
 つむぎに苦手なピーマンをあてがう話。周囲があれこれ工夫しても結局克服できなかったわけだけど、まぁそんなもんだよなという。自分はそういや子供のころピーマンは好きではなかったが、苦手でもなかったかな。野菜のあの香味や苦味などの物質は、自分が他の生物に食べられないための自己農薬らしくて、まずいと感じてしまうのはそういう野菜の意図?に従ったものといえなくもない。だが、自分も振り返るとそうなのだが、野菜のあの独特の苦味などこそが大人になって逆に美味しいと思えるってのは不思議なものではある。
 普通なら母子家庭の小鳥に対するつむぎ父の立ち位置は父性のはずなんだが、これがもう見事というほど排除されているようで、どちらかというと昨今のパートナー感満載の夫婦関係のように見えてしまう。それが小鳥視点で語られるのではなくてつむぎ父の視点で語られるのだからズるいというか。まぁ父性を示すときは二人の距離に変化を与えるときだとは思うので、そのへんあまりかっちり要素を見極めなくてもとは思っている。