バーナード嬢曰く。 第4話

 銃・病原菌・鉄は読んだぞ。
 しかも面白かった。この本だったっけ?、狩猟民族より農耕民族のほうが好戦的で欲深いとかいってたの。というわけで、書評というよりお勧めPOPを作るの巻。自分の経験では書店でお勧めPOPで買ったことはなくって、友人と話していてそれに関連してこの本が面白いだの、ネットのエントリーで主旨の要点や関連はこの本みたいな誘導で本を手に取ることが多い感じ。なんといっても自分の興味が第一にあって、あんまりあてもなく本を読もうかというのは少ないかな。が、別に本を手に取るのはなんらかのお誘いがあってスグというわけでもなく、なにか気に留めるということがあって、時間を置いて熟成の後に(おそらく無意識のうちに)ちょっと読んでみるかということもあろうかとは思うんでそのへんは一切合財無意味だというつもりもないというか。
 あ〜、しかし主人公の要点は他でって読み方も間違いではないかも。大学でも今だと講義に使う本は原典を原書で読むって機会は少なくなっているらしくて、その講義で取り上げるものはまづ解説書からってこともあるからな。難しいところで、これも世が複雑になって昔のように社会の進歩やトピックが世の共通の話題となって、誰か飛びぬけた人がブレイクスルーを達成してとりあえずそれを追っかけとけという時代ではなく、分岐が多くなっているのでその枝葉末節にそう時間も手間もかけていられないって事情もあるからねぇ。研究や追究のために本を詳しく読み解く必要があるのならともかく、著者自体も枝葉末節のつもりで書きもし興味の本筋は別にあるけど、その本が見出したなにか光る要素が押えとくべきってことなら今だと要旨をざっと踏まえとけばよいってことも多いわな。そしてそれはその時代のほんの一瞬でしか当てはまらなくってすぐに陳腐化したりするし。なにも大きな物語が失われているのは小説の分野だけでなくって社会のあり方そのものもそうなんだろうなと思う昨今。で、本当にそういう構造が失われているのかどうかはわかんないねぇ。