世界でいちばん強くなりたい! 第3話

 ウソやろ…。
 何、このついてけない子は置いてくよ感。一つの篩は、「あなたがファンになっているアイドルは、そのアイドルというペルソナを捨てゝ、フツーのかよわい女の子でも支持し続けますか?」というもの。まぁ主人公の容姿を美麗にしてる段階であまり説得力はないが、この視聴者の人に対する気持ちを試すような展開を持ってくるとは思わんかった。おそらく主人公はモデルになる現実のアイドルがいるわけでもないから、視聴者(読者)に対する現実からのバイアスはないし、そのへん結構割と直球で抉ってくる感じ。ちょっとこの作品舐めてたよ。いやまぁ別に展開自体はテンプレだし、そんなに新しいものは感じないんだけど、やはりアイドルもプロレスも見世物というもの同士のコラボであって、「見せかけ」を排除した後に残るものをこんなに早く提示してくるのはヤラれたという感じ。人は見かけに寄せられるし、人は見かけに寄らぬものを気取っていたとしても、では見かけに寄らぬどの部分にあなたは引き寄せられるんですか?、見かけによらぬという意思を本当に保ち続けることができるんですか?というのを突きつけてくる。見かけによらぬ部分を支持といってるが、本当にそうなんですか?ってなもんだ。
 で、もう一つの篩がスパーリングによる主人公への弱点の見せつけ。視聴者としては、確かにこれは他人が手助けするとか寄り添うとかそんなんじゃなくて、やはり自分で克服しないとなというのはわかるんだけども、おそらく今までの練習でまさか主人公が苦手な技とか局面について周囲が対策もしてないわけはないとは思うんだが、その末のスランプだとは思うので、これは現代の教育に対するアンチテーゼ。前にアタックNo.1を視聴したときにも、生徒に対するスパルタ練習をとがめる社会事象を受け止め、それでなおあの練習描写で世間(50年前の読者or視聴者だぜ?)と真っ向勝負してたのを思い出す。