冴えない彼女の育てかた 第9話

 こゝに至っても音担当の登場なし。
 うーん、侮れん。こういったテンプレとちょっとした切れ込みの緩急のコントロールがうまいんだな。仲直り云々はどうでもよいのだけども、そういう関係性抜きにして、主人公がしなければならないことは、澤村にお前の話はつまらんということだと思っていたので、直球勝負に出たのが意外というか、こう胸にスッとくるものがあった。まぁ普通、人間関係を保つためなら相手を否定しないわけで、そのへんファンタジーではあるのだが、この流れに至るまでの積み重ねはできているので(なんで主人公が自分の薄い本について何も言及しないか非難している時点で、澤村は主人公が自分の本をつまらないということがわかっている)、ぬかりはないといえる。
 もう一つ驚いたのが幼少時の無視うんたらのお話。女は割と自分に責任があることを他人に転嫁してということが多々あるわけで、これを主人公が引きずっていたとか言わせてはいたが、これ、かなり現実社会の再現に近い。子供のすることだから大ごとにならない形にしてその実視聴者も女にこういう目に合わされたことよくあるでしょ?という提示。現実の女は澤村と違って、いくら証拠を示しても自分のせいではないと言い張るのだが、そのへんは萌えアニメフォーマットでもあり、澤村に「謝らないけど自分が悪いことはわかっている」と言わせて、現実を見つめられる度量があることを示した上で、主人公に同人誌の出来について言わせているという流れが自然でオモロイ。
 まぁだからどうなのよって部分はあるが、どうせアニメ視聴をする層はこういう感情スイッチを押せばブヒるんだから、基本そのポイントは押さえて、かといってフォーマット通りだと食傷するし、作ってるほうも焼き直しをしたいわけでもないから、変化をつけてくよというそういう構成がなんともな。出版で言えば、別に作家も編集もどっかで見たものばかりの組み合わせを世に問いたいわけでもなく、かといって全く新しいものを出したところでその新しさを理解できる読者は極少数なのであって、世に受け入れられやすい形を取った上で、かつ自分が主張したいことを織り交ぜることに腐心しているその様を、この作品から感じ取ってくれみたいなのが主なんかなと思わなくもない。
 しかし悲しいことにクリエーターがどれだけ血反吐を吐こうと精緻を尽くしていても、大抵の視聴者・読者にはその作品が面白いかどうかとは関係がないし、氷菓で伊原が言っていたように名作は名作として生まれてくるのであって、そういう名作は割と視聴者や読者の質を問わなかったり(とはいえ、読書習慣を持たないとか、そういう絶対的な質はやはりあるのだけども)する。本作もテンプレ多用、メタ構造使いまくりで普通こんなのは鼻につくばっかりなんだけど、それでもそのテンプレを厳選して作画に注力するという力技を使って強引に視聴者を引き付けながら、それでやっと物語上のカタルシスで主張してくるところは、物語の面白さ抜きにしてクォリティは高いといわざるを得ないわな。少なくとも視聴者のある層にとってはこの作品のゲーム製作が、やれ現実社会の仕事なりの自分が突き抜けたい部分とか一生懸命取り組んでいることなどゝかと置き換えて鑑賞できるだろうし。