Re:ゼロから始める異世界生活 第2話

 死に戻りを何度か繰り返して特定キャラに愛着を持たせるのって結構ズるくね?。
 というわけで早速何度かリセマラ。なんつーか、ネット小説にありがちな展開に、主人公が現代の知識を技術未発達な時代に応用して見せて成功してみせる(電気のない世界に電気の知識を発揮してアドヴァンテーヂを得るとかそんなの)というのがあるんだけど、それを技術とかそんなのは介在させないけど、既知の事象で上手く切り抜けるという点でおんなじ。要するに何が勝つかわかっている競馬で当たり馬券を買ってみせるってやつ。今は死に戻りということについて主人公が実感を得るために何度か同じことの繰り返しをやってる段階なのでそれほど馬鹿げているとも思わないのだが、システムがわかっているのならもっとスマートに行動しろよと言いたくなる場面ではある。というより、そういうズルはテキスト上ちょっと不味いのではというのが基本ではある。
 とはいえ、結局この物語がウケたのは、中途半端な主人公が、動機はともあれ志を得て物事に真剣に取り組んでいく姿勢、つまり成長モノとしてだろうから、仕掛けの滑稽さには今は目を向けないほうが吉ではある。普通リセットするようなズルはこの後一切封印して、物語の山場で本当に一度だけ使うというのが定石だろうが、今ドキだと何度も失敗してそのたびに奥の手を使ってそれで微妙な成功を得るというのはある意味現実に体験しやすいのだろう。割と日本社会は一度脱落すると浮揚が難しいといわれるが、それは昔は中学、ちょっと昔は高校や大学を卒業して安定した職について、そこから失職すると再就職が難しかったそういう時代の話であって、今ドキだと、新卒就職するにしても不安定な職にしかつけず、不安定だからこそスグ辞めたり辞めさせられたりして転職を繰り返すという時代だからこそそのやり直しというかリセマラがむしろリアリティに近づいているのかも。自分が新卒の頃は何十社も応募してそれで内定を貰うというのはしんどいという感覚だったが、それが当たり前となると、お祈りされたら即次の応募という風にもう機械的な作業感覚になっているのだろう。就職はある意味結婚のようなもので、決めるときも慎重な判断が求められるし、入社するとなれば人生を託するものだからという風に言われていたが、今や応募者にとっても慎重な判断をしたところでその企業に入れるというものでもないし、企業は企業で労働者を使い捨てにしているわけで、人生を託して得をすることなんて何もないというか。人生は確かに一度きりだが、就職が人生と重ね合わせで考えることができるのってレアケースになっており、そういう状況ではリセマラ上等だろう。
 とはいえ、この物語では主人公は社会的状況とか組織の都合ではなく、やはり人生を賭けて付き合う相手との関係性を描くわけだから、その相手との共有体験を主人公は蓄積し、相手はそうではないという非対称性を持って描くのはやはりちょっと違うような気がしないでもない。