フードバンクというより貧民救済事業雑感。

 自分がちょっと問題だなと考えているのは、民間人が貧民救済事業をやってしまうことによって、自民盗を頂点とする政官財が、「あ、庶民を痛めつけても貧民救済事業が自然発生するから、搾取を止めなくても構わないんだ」と思ってしまうこと。フードバンクは賞味期限寸前の食料を企業が提供することも多いらしいが、この企業がイコール自民盗に優遇されている企業とは限らないわけで、救恤の心のある企業ほど体力が損なわれ、搾取の心に富んだ企業ほど肥え太るという、これまたディストピア満載の構造が出現している。たとえ搾取側の企業がこういう事業になにか差し出したとしても、そういうのは人気取りでしかなく、書類上では寄付であっても実質経費として考えられてしまうから、かなり意味のない(おそらく商品価格に転嫁されるため)ものになる。
 協議会の人の動機が語られていたが、もともとはアフリカなどの途上国支援をやっていた人で、仕事を定年で辞めていろいろ調べてみると日本にも貧困状態があるらしいということがわかって、周囲にも働きかけて運動を始めたらしい。しかも役所には貧民救済のための部署がなくて一から組み立てなきゃならなかったとのこと。おそらく彼女の中ではいやまだまだ日本は豊かであって、貧乏になっていたとしても食えているから、より貧しいアフリカの支援をするべきという状態ではおそらく無くて、モノは豊かでも食える食えないという意味ではアフリカ同程度の貧困が実は日本には既に発生していたから支援対象をアフリカゝら日本に切り替えたというのが驚きではあるわな。まぁそれというのも自民盗政権による国民の分断による国内の植民地化が成功した結果であり、その意味においては自民盗は国民搾取の能力が極めて優れているということが言える。
 いやなんかね、こういう貧民救済が、同じ市民が困っているから人として何とかしなくちゃならないというそういう共同体幻想によって始められたのではなくって、ある意味老後のやりがい探しの果てに見つかったからというのがちょっと脱力。とはいえ、こう義憤に駆られてパワフルに活動ってのもそういうのは得てして思い込みが激しくて周囲の賛同も共感も呼ばないことが多かったりするので、取り組む態度としてはむしろ望ましいとは思う。私財をなげうって貧民救済ってのも家族が悲劇を味わったりするし、むしろ私財を投げ打って弱者のために働くのは昔は特に政治家がやるべきことであったわけで、そういうのは国に寄生して私腹を肥やすことが家業となってしまった特に自民盗の政治屋ばかりになった日本の現状を見ると、これが本当に近代国家なのだろうか?、いや江戸時代ですら炊き出しはやってたから、中世より後退してるってのが現状。近代システムによって得られた、化石エネルギー由来のモノゝ大量生産、庶民を国家に統合することによって直接支配が可能になったわけだが、どういうわけか先進国といわれる国の中でも日本は特に、それを国民を奴隷化して生産された富を一部の上級国民が独占するという構造になってしまっているのは何の冗談か?と思わざるを得ない。とはいえ、不正選挙が横行しているとはいえ、憲法にいみじくも書かれている「権利は国民の不断の努力に」というのを怠っている結果とはいえるので、愚民の自業自得といえなくもない。
 別にフードバンクに取り組んでいる人が悪意を持っているとも思わないし、活動を搾取の当本人である政官財に都合よく利用されるだけってことがあって、それがわかってないにしろやってることは尊いとは思う。とはいえ、先の震災の折には、あまりにもな惨状に寄付が殺到しても、後々政官財がやったことは復興増税でさらなる国民負担だけの増加であり、善意の人は二重の意味でぎゃふんといわされたわけであって、そのへんもう無知であってはいけないとは思うんだよね…。