ガッチャマンクラウズ 第3話

 牛乳かよ。
 メスとの戦い回避の道が見つかったようで、なんか一緒に和んでた。ガッチャマンリーダーが言われたとおりにやってたとか言ってたが、まぁそうだわな。目の前の問題を自分の頭で考えないで処理するとそうなるというか、自分もそういう管理職とかよく見てきた。しかしそういうのに限って、命令と変わらないのに自分で考えて対処しろとかいうんだよな。それもそいつの指定した役にも立たない方法を強制して。ほんでもってそういう強制された方法ではうまくいかないから失敗して、その責任は取らないという。
 その辺爾埜美家あたりが「個人個人を見ようとしない」「報酬や名誉ぬきに人の役に立とうとしない」とまとめていたが、なんか言いたいことはわかるんだけど、言葉にしてしまったらちょっと違ってしまうという違和感があってもどかしい感じ。個人を見なくても問題解決は可能だし、名誉はともかく報酬抜きではやってられないこともあって、これはテキストにする段階でわかりやすさを重視したから抜け落ちる部分が多くなってしまったというところだろう。自分が先に述べた管理職あたりは、爾埜美家の言ってる像からするともっとえげつなくて、自分の思い通りに行かなかったらすぐにパワハラに走るわけで、そしてそういうのは自分の体験だけでなく、今、この瞬間の日本ではかなり当たり前の光景にもなっていて、テーマとしては重たい。いや、重たいからこそ取り上げたってことだとは思うのでそのへん人気の確定してないアニメで直視できないほどの酷い現実を素材にするわけにもいかずってとこだろう。
 正直牛乳あたりの処理は、生徒が強制手段に訴えなくても、そもそも携帯端末の普及度を考えたらマナーモードぶっち(災害の時には強制で解除されるんじゃ?)で知らせることはできるし、放送でも警告みたいなものでなくても、味やにおいを確認してくれぐらいな穏当なものだったら情報を見せて理解は得られるんじゃないかという気はした。とはいえ、これはこれで、牛乳腐敗問題なんて地味な案件を派手に見せるために大げさに仕立てたゞけの話と理解するべきなんだろうな。
 ギャラックスというのは適切な人合わせによる問題解決システムって感じだけど、普通にLINEを意識してるっぽい。が、現実のLINEは既存のネットに寄生した無料情報交換システムに過ぎなくって、それがこの作品のように有効に働くって場面はむしろ少なくて弊害が大きい*1ってのは特に中高生で見られる現象で、そのへんをどう考えるかというのが難しい。今のところギャラックスはほとんど弊害のない、社会をよい方向に変革するツールとして描かれているが、後々弊害部分をクローズアップしてくるのか、それともギャラックスは良いツールであるという立ち位置は変えないでストーリーを展開していくのか様子見かな。まぁ中高生でいえば、LINEを人を縛るツールとしてゞはなく、ギャラックスのように有効利用しろよという指南なのかもしれないし。

*1:まぁ弊害と大げさに言わなくても、普通に多数がそういう利用をしているように連絡ツールとして便利に使ってるのであれば害なんてないわけなんだが。