Free! 第9話

 最后、凛と岩鳶の面々が鉢合わせって展開だと思ってたんだけど。
 うーん、仕掛けをずっとやってたというのはわかるんだけど、やはり自分的には前話からはじけたように感じた。もちろん腐った方々への妄想のネタ提供ってのは充分わかるんだが、それにしても人と人とのつながりという部分の取り扱いが繊細で、単純に団結素晴らしいでもないし、勝利万歳でもない。見守る真琴のあり方は、もちろん腐った方々へのご奉公ではあるのだが、遙が男でそれを見守る女性(男の子向け)というのでも、遙が女でそれを見守る男性(女の子向け)でも充分通用するように作ってあり、いやまぁ全体としては女の子向け寄りではあるんだけど、なるほどこれが製作者の考える人と人との適正な距離感ってやつなのかなと思わされる。
 さて、今までそれなりにスポーツものを視聴してきて、やっぱり勝利至上主義というのが入念に変革されていることがわかる感じがする。今回のリレーの地方大会出場も、ベスト8に入ったからというものであって、予選での一位は、勝ったということよりも、4人が協力して何かを成し遂げた報酬以上のものではない。昔のスポ根モノだと、勝利するとそれ以降の優遇措置が大体用意されていて、勝つこと=特権の獲得というのと結構直結していたのだが、もうそういうのは世の中には受け入れられる層というのが限られてきてるんだろうなと感じざるを得ない。この作品はそういう要素が薄いとは思うんだが、競技とか戦いというのは会社だとかなどの社会的な人と人との軋轢のメタファーであることが多く、現実社会で起きている例えば企業内での出世競争などゝいうものは、大抵人の成果を盗み取り、人の足を引っ張り、権力者との共犯関係によって行われる場合が多くて、たくさんの被害者が出ているわけで、そういうのがもうとっくの昔に限界点を突破していて、多くの人の支持を獲られなくなっているんだと思う。ジャンプに見られる三要素であることころの努力は人を出し抜く技術の研鑽、友情はいかに他人の成果を横取りするか、勝利は格差関係の確立でしかないわけで、そういうのは世の中を知らないお子ちゃまにしか受けない。今のスポーツ界を見ていても、芽を出すのは大抵親もその競技選手であって、子供が幼い頃からちゃんと仕込んでおり、ポッと出の人間がそのスポーツに興味を持って取り組んだとしても、英才教育を受けて環境を整えられ、スポーツ技術がほとんど習慣化しているような選手に(メジャーなスポーツでは)かなり太刀打ちができない状況になっているわけで、まぁなんというかではあるよな。もちろん裏で画策するという世界もあるけど、英才教育を受けた選手ってのは別に汚い手を使わなくても普通にそうでない選手を圧倒できる場合が多くて、そういう構造に問題があるわけでもない。おかしいのはむしろスポーツに群がって利権を漁る周辺のほうだったりするので、難しいところ。で、社会生活の場合は個人の能力などは全く関係が無い場合が多くて、逆にスポーツものはそういうのを無視して純粋に技術で勝敗を決めやすいだけに、物語を描くプラットフォームとしてはやりやすいってのはあるだろうね。で、逆にそういうフェアなものだけで結果が出てしまえるという環境を構築しやすいスポーツものは現実と乖離しているからこそ今の時代なかなか流行らないという部分があって、じゃぁそこに現実をどう載せるのか?というのはそりゃまぁナイーヴな問題ではあるわな。
 そういうわけで、確かにある程度ターゲット層を絞ってきてるからそれなりにテンプレに従っている部分はあるんだけど、決して「ヲマエらこういうのが好きなんだろ、ほら、サーヴィスしてやるから存分にブヒれ」って傲慢な態度では決してなく、ある程度練りこまれた感じがする。成功しているかどうかは微妙なところだけどかなり抑制が効いたテキストなんじゃないだろうか。少なくとも前話今話のところはそういった感触。