天使の3P 第1話

 えーっと、構造がロリバスケと同じ?。
 雑破業の脚本ということで注目してたやつ。原作はロリバスケの人で、いやまぁチェックの段階でキャラが幼少なのはわかってたけど、こうやって目の当たりにするとやっぱありえねぇといった感じ。主人公が後ろ暗いところのある異能の人で、小学生に頼られるというのが全く一緒。しかも主人公に思いを寄せる同年代のサブヒロインまでいるというところまでという。バスケのほうをあれどんな物語だったっけと振り返ると、主人公は小学生バスケチームを教えることを通じて何か獲得はするんだけど、なにかこう大きな物語にありがちなカタルシスはあんまりなかったような気がする。こんな時代だから自分も主人公が復帰を目指さないところに何の疑問も抱かなかったのだが、あれを視聴してとらえどころのない作品と思う人が多くても不思議もない。自分は勝利至上主義を目指さないスポーツのあり方・関わり方を示してるなと捉えてたので、それなりに得るものはあるだろうなとは思うのだが、しかしだったらなぜあのような一般人にとってはかなりハードルの高い表現方法をとるのだろうとは思ってる。
 で、この作品が何を目指してるのか、少女たちがなぜ一ヶ月以内にライヴを成功させようとしているのかその思惑自体がスルーされているので現段階ではポカーンといったところ。教会が慈善として児童養護施設の運営をやるのは設定としてわかるのだが、運営側の人間の顔見せをこの第1話でやらないのはどうしてだろうとか、ヒロインズがあれだけの演奏技術を持ってるのはなんでかとか、いやそれ後から説明するんだろうけど、なら彼女達だけで運営もできるのでは?とか、小学生とその面倒を見る高校生の構図を作り出すためにえらい無理をしてるなというのをひしひしと感じる。フェンダーとかマーシャルだとか、エレキ業界では有名な器材を選んでるのだろうけど、基本そういうメーカー名を知ってるだけで、その良さだとか詳細は全く知らないので何が凄いのかも良くわからん。
 が、こうやって一話を流して視聴して、設定は著しく不自然ではあるが、別に物語としては自然だったので、そのへんだわな。もしかして主人公がこの手助けを通じて不登校が解消するだとか、別に学校に行かなくてもそれ以外の生き方もあるよって、そういう主張なのかもしれないが、ロリバスケを振り返ると、そういう一般的には正常でないと思われている状態が、なにか改善なりそれを超越するなりだとかの結論を示すと期待するのもバカらしいので、そのへん頭の片隅に置きつゝも、基本はこの作品が流れていくのに特に逆らわない方向で視聴するつもり。