Coppelion 第1話

 次号予告でタエ子が生きているの図。
 いちおう社会派作品を選んだってことで。視聴する前にちょっと考えてみたんだが、この作品、3・11の折には自粛という形で話題になったものゝ、放映してしばらく経つがそれほど話題になったという話を聞かないな。フクシマじゃなくて、東京が事故?に遭ったという設定のようなんだが、東京の繁栄を支えるためにフクシマが犠牲になったというのに、この世間での無関心ぶりってのは、現代日本には果たしてそもそも社会問題を考える基盤ってのがもうなくなってんじゃね?とすら思う。今週の藤原直哉インターネットラジオを聞くと、原発推進都知事が選ばれたってことは、東京人が「東京のために地方は捨石になれ、東京の不始末は全部地方に押し付けるが」ということを示したもの…なんて感じのことを言っていて、なるほどゝ思った次第。安倍政権がそもそも原発の議論をするな魚拓とんHKに圧力をかけているらしいが、これまた情けないことに、これを報道するのが海外の報道機関であって日本の報道機関ではないという絶望。いや、こうなるのがわかっていたのに、それでも自民盗に票を投じる愚民がいて、でもよく考えたら国民を騙して消費税増税を成し遂げた空き菅野田の率いる民主盗による国民の政治不信ってのも大きくて、いやはやそれでも自民盗を支持するのは利権サークル内の「安倍のおトモダチ」かよっぽどのマゾかってなもんだ。まぁそれで報道はオリムピック、それも今やってるロシアでのというより、東京オリムピックに期待する声が大きかったりするもんだから、フクシマの人々の「原発事故の後始末はほったらかしにして、オリムピック景気優先かよ」という叫びが聞こえてきそうである。
 さて、作品だが、静かだったねぇ。まぁそういう演出なんだろうが、BGMを極力排して空虚感を醸成するのには引き込まれた。主人公の荊がなるほどヒーローヒーローしていて、脇を固めるサブヒロインがゆるいというか意味のない台詞で引き立て役に回っているのがまぁそれっぽい。荊の上司である三島のキャラがこれまた立っていて、視聴者(を通じて大多数)に現実を見せつけようとする意志がありそうだわな。ヒキがちょっと弱いが、抑揚をおさえた話作りの割には自分的には結構いろいろ考えさせられながら視聴していた。が、以降その自分の緊張感が持続していくかどうかはその予感があまりないなぁ。まぁスタッフとしてもあまり主張を強くしても忌避されるだろうし、あまりに目立って嫌われてもなんだし、かといって重いテーマに対して切れ込みが足りないと物足りなくなってしまうしで、まぁ放映延期になったことからしてもナイーヴなものではあるので、バランスの取り方は難しいだろう。少なくとも中止をせずに放映したという勇気というか、その事実に敬意を表して視聴を続けていきたい。